- 出演者
- 有田哲平(くりぃむしちゅー) 上田晋也(くりぃむしちゅー) 堺正章 トラウデン直美 モーリー・ロバートソン 前田裕二 フワちゃん 松村北斗(SixTONES)
3Dプリンター、ブルーレイディスク、ウォークマンは日本人が作った。1979年に初代ウォークマンが発売された。当時はレコードやラジオから流れてきた音楽をカセットテープに録音して聞いていたが、ソニーの盛田会長は「録音機能はいらない」とした。録音機能がないと絶対に売れないと言われていたが、シリーズ累計4億台以上を売り上げる大ヒットとなった。ダイソン創業者も「ウォークマンは私が尊敬している日本製品」「普通は機能を増やしたくなるが再生だけに絞るという挑戦する姿勢とアイデアが素晴らしい」と話している。インスタントラーメン、青色LED、食品サンプル、市販用レトルト食品、ノートパソコンも日本人が作った。パソコンは10キロ以上のデスクトップが主流だったが1989年に東芝が世界に先駆け重さ2.7キロのノートパソコンを発売した。より薄いものを作ろうという思いから、試作品を水が入ったバケツに入れていた。中から水が出てくるということはまだ隙間がある証拠だと考えた。累計販売台数は全世界で100万台以上の大ヒットとなった。自撮り棒も日本人が作った。生まれたのは今から40年ほど前。開発者の上田さんが海外旅行したときのこと、記念写真を撮りたいと思ったが誰もシャッターを押してくれず子どもに撮影をお願いするとカメラを盗まれた。こうして生まれた自撮り棒は、開発当時は携帯電話ではなくカメラをのせたものだった。2014年TIME誌にも発明品ベスト25で自撮り棒が紹介され大ヒットした。特許は取っていたが2003年に失効していたため収益はゼロ。今回は内閣府公認ールジャパン・プロデューサーのベンジャミン・ボアズさんに、日本人が発明した世界初のものを教えてもらう。
スタジオで世界初のノートパソコンと最新のノートパソコンを比較。最初は3キロを切るのはすごいことだった。最新のものは900gで初代の3分の1になっている。メモリを比較すると約1万倍以上進化している。
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ビニール傘は1958年に老舗傘メーカー「ホワイトローズ」が発明。当時傘の生地は絹や綿が多く、雨漏りや色落ちに悩まされていた。そこで傘の上にビニールをつけてカバーする発想を思いつき、それがビニール傘に進化した。ビニール傘は世界に広まり、エリザベス女王がビニール傘を使う姿も話題になった。上皇ご夫妻も集まった人たちとお互いに顔が見えるようにビニール傘を使われていた。
カラオケを作ったのも日本人。空オーケストラの略で、世界各国でカラオケと呼ばれている。カメラ機能付き携帯も日本人が作った。1999年に京セラからカメラ機能付き携帯が発売され、その後2000年にJ-PHONEが携帯の後ろにカメラをつけ写真をメールで送る写メールの機能を作ったため爆発的にヒットした。携帯電話の技術に重要な成果をもたらしたとして2014年、国立科学博物館の未来技術遺産に登録された。
絵文字は1999年に開発され、2016年にはニューヨーク近代美術館にも収蔵された。Emojiとして世界中で利用されている。開発した栗田さんにはいつでもニューヨーク近代美術館に入れる永久パスが渡された。
1954年に作られた特撮怪獣映画「ゴジラ」はこれまで34シリーズ作られ、ハリウッドでもリメイクされた。現在公開中の映画「ゴジラ-1.0」が興行収入50億円を突破した。アメリカでの興行収入が邦画実写で34年ぶりに歴代1位を更新するなど世界的にも大ヒット。山崎監督は以前の授業でゴジラなど特撮・VFXについて教えてくれた。ゴジラ第一作では、鉄塔が溶けるシーンをロウで作った鉄塔で再現した。
山崎監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」「海賊とよばれた男」など多くの作品でVFXを使ってきた。「アルキメデスの大戦」ではVFXを駆使して戦艦大和を描いた。山崎監督のVFXでは、地面は本物。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では昭和30年代の羽田空港のシーンでもすべてCGにせず地面を作り、当時の建物をはめこんでいる。「海賊とよばれた男」では、雪のシーンをグリーンバックと足元に降らせた人工雪だけで表現した。「ゴジラ-1.0」での人々が逃げ惑うシーンでも、本物の地面、屋台、グリーンバックのみ。合成することでリアルな映像ができあがる。背景だけでなく逃げる人間の数も増えている。アクションスタッフによる動きをモーションキャプチャーしデジタルエキストラとして合成する。VFXを担当するのは白組。まずラフなイメージCGでカメラワークと大まかな動きを作る。必要な実写を撮影し、何もない背景に実写を合わせ周りの建物や人を加えていく。VFXの先駆者、ジョルジュ・メリエス監督が1901年に作った映像を紹介。空気を入れると男性の顔が大きくなるという映像で、遠近法を利用しカメラに近づいて大きくしていた。
QRコードも日本人が作った。都営浅草線では2018年から世界で初めて電車のドアにQRコードがつけられた。浅草線は京急線や京成線といった複数の鉄道会社の間で互いの路線に電車を乗り入れている。電車によって車両の扉の数が違っていたり車両の数も異なっているため、ホームドアを開け閉めする箇所を到着する電車によって変える必要があった。そこで車両のドアにつけられたQRコードを天井のカメラで読み取ることでドアの数や車両の数を検知し、それに合わせたホームドアだけが開くようになっている。QRコードの隅の四角が1か所だけないのは、どの向きからでも読み取れるようにするため。QRコードは自動車工場の生産管理のために開発されたもの。以前はバーコードを使用していたが、従来のバーコードには英数字20ケタほどのデータしか書き込めなかった。QRコードは約7000ケタ、バーコードの約350倍の情報が入れられる。開発したデンソーの原さんは囲碁をしている際、碁石からQRコードの構図を着想した。QRコードは特許の権利をオープンにしたことで、誰でも自由に使え広く普及した。
自動改札機、新幹線、冷却ジェルシートも日本人が作った。カッターナイフは1956年にオルファ創業者の岡田さんが発明した。当時紙を切るときは素手でカミソリの刃をつまんで使っていたためけがをしやすく、刃の両端しか使えず切れ味が鈍くなったら捨ててしまうのをもったいないと感じていた。切れ味が鈍くなったら刃を折ることができる機能を考えた。折る刃のヒントになったのは板チョコ。
消せるボールペン「フリクション」も日本人が作った。2006年に発売され、シリーズ累計売り上げは41億本以上。60℃以上の摩擦熱で透明になるインクを使っている。
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消せるボールペン「フリクション」も日本人が作った。60℃以上の摩擦熱で透明になるインクを使っている。思いついたキッカケは紅葉。研究者が紅葉の名所を訪れた際に緑の葉が一晩で赤くのあるのを見て、紅葉のように温度で色が変わるインクを作れないか考えたと言われている。開発当初は色を変えるのが目的だった。
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映画「夜明けのすべて」の告知。
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岡山の発明家、三宅精一は点字ブロックを発明。路面に突起を並べて足裏の触感を利用するというアイデアを思いついた。誘導ブロックと警告ブロックを考案し、1967年に岡山県に世界で初めて設置された。現在85の国と地域で点字ブロックが採用されている。
ボーカロイドも日本人が作った。2003年にボーカロイドを開発したヤマハの吉田さんと市川さんに話を聞いた。当初は男女2名の声だけだったが、現在では約100種類以上の歌声がある。音楽の教科書はもちろん、日本史の教科書にも初音ミクが載っている。米津玄師もハチという名前で初音ミクの曲を作っていた。ニューヨークやトロントで行われる初音ミクの世界ツアーは今まで19万人以上も動員した。
クールジャパンの代表、アニソンは世界で大人気。YOASOBI「アイドル」は去年、国際チャートで日本語曲で初めて1位に輝いた。インドネシアのレイニッチがYouTubeに投稿したアニソン動画は約250万回再生。フィリピンでは「超電磁マシーン ボルテスV」が最高視聴率58%を記録するほどの大人気に。その結果、日本語のアニメの主題歌が国民的ソングになっていた。
日本文学も海外で大人気。東野圭吾のこれまでの著作は37の国と地域で出版され、累計総発行部数は6800万部超え。中国では最も稼ぐ外国人作家とも言われる。NewJeansミンジも東野圭吾の作品を愛読している。
吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」が近年再び注目された。2017年には漫画化され、発行部数235万部突破の大ヒットとなった。主人公は中学2年の本田潤一。母と2人暮らしで、潤一の良き理解者がお母さんの弟であるおじさん。潤一が悩みを打ち明けるとおじさんは夜に「どう生きるべきか」のアドバイスをノートに書いてくれる。その言葉こそが多くの若者達へのメッセージになっている構成。
吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」で、クラスのいじめに悩む潤一におじさんは「自分で考えるんだ」と告げた。意外な言葉に潤一は戸惑った。おじさんがノートに書いたメッセージは「言われたとおりに行動し教えられたとおりに生きてゆこうとするならばいつまでたっても一人前の人間になれない」。その後いじめを見て見ぬふりをしていたクラスのみんなが大きな塊になっていじめっ子に襲いかかったが、いじめられていた浦川くんが止めた。このときのおじさんのメッセージは「肝心なことは世間の目よりも人間の立派さがどこにあるかを魂で知り、良いこと悪いことを自分の信念で判断すること」。なんでも教えてくれるおじさんだったが「君はある大きなものを日々生み出している、それは何だと思う?」という問の答えだけは明かされなかった。吉野源三郎が一番訴えたかったことは、決して周りに流されず自分の信念のもと自分で考えることだった。
QRコード、ビニール傘、カメラ付き携帯電話は日本人が作った。
スリッパは日本人が作った。スリッパという単語はあるが舞踏会の履き物などを表していた。日本人は外履きから履き替える室内履きのスリッパ。明治時代初期、開国によって西洋人が多く来るようになり土足で畳に入ることがあった。そこで作られたのがスリッパで、当時は靴の上から履くものだった。