- 出演者
- 塚原愛 岡村隆史 長谷川忍(シソンヌ) 矢吹奈子
チコちゃんがオープニングの挨拶をした。ゲストは最近まで干支のなかにブタが入っていると思っていた矢吹奈子さんと99%新幹線に忘れ物をするシソンヌ長谷川忍さん。チコちゃんは長谷川さんを見るとなぜかスティービー・ワンダーを思い出すと話した。
- キーワード
- スティーヴィー・ワンダー
チコちゃんが「船出の時に紙テープを投げるようになったのはなぜ?」とクイズを出した。正解は森野庄吉さんが助け船を出したから。神戸大学の藤本昌志教授の解説。船出の紙テープは日本人が考え日本でしか行われていない。1899年、当時22歳だった森野庄吉さんはカナダのバンクーバーへ渡りその後アメリカ・サンフランシスコに移り宿や雑貨店の経営を始め実業家として大成功を収めた。1915年のサンフランシスコ万博に参加していた笠井商店は「櫻紐」というラッピング用の紙テープを出品したが当時のアメリカでは布製のリボンが使われていたため大量の在庫を抱えてしまった。そのとき異国の地で困っている日本人の噂を聞いた森野庄吉さんは売れ残った紙テープを大量に買い取った。森野さんは世界各国の船が停泊していた港で船に乗る人たちに対し「紙テープで最後まで別れを惜しむ握手を!」と売り始めた。森野さんの経営する雑貨店は港の近くにあったそうで普段から港で別れのシーンを見ていてアイデアがひらめいたと思われる。森野さんのアイデアは大当りし紙テープはほとんど売り切れたという。紙テープを使ったセレモニーは人気となりアメリカだけでなく上海やオーストラリア、ハワイなど世界中で行われた。しかしその後すぐに世界恐慌や第二次世界大戦が起こり船旅ができなくなった。戦争が終わると移動手段が船から飛行機に移り、紙テープによる海洋汚染の問題もあり船出の紙テープは廃れ今では日本でしか見られなくなった。日本は海外に比べ人との別れを大切に傾向がある国民性のため最後まで別れを惜しむ紙テープが残ったとされる。鹿児島港を出港するフェリーみしまでは紙テープのセレモニーは終点の黒島で行われるという。港には子どももいて投げると危ないのでいまどきの紙テープは1本の棒に通し先端をまとめて船につり上げて陸とつなげて行われていた。最近では水に溶けやすく環境に優しいパルプ紙で作られている。
オープニング映像。
チコちゃんが「なにも買わずに店を出ることをなんで「冷やかし」っていうの?」とクイズを出した。正解は紙を冷やす間のひまつぶし。江戸川大学の斗鬼正一名誉教授の解説。「冷やかし」は江戸時代に誕生した言葉で紙の作り方がルーツ。江戸時代、紙は高級品だったため古い紙を回収したり落ちている紙くずを集めたりして再生紙を作り何度も使用していた。再生紙を作る職人たちは浅草に多くいたので浅草紙と呼ばれていた。浅草紙は川の水にさらした大量の古紙を釜で煮て棒で叩いて細かくして紙にしていた。釜で煮たあとに水で2時間冷やすためその時間をつぶすために浅草の紙職人は近所の吉原遊郭に遊びに行っていた。紙職人が働く地域には「紙洗橋」という地名が残っている。紙職人たちは遊ぶ金もなくぶらぶらと見て回るだけで帰っていたので遊女たちが「あの客は紙を冷やかしている間にひまつぶしに来ただけの冷やかしよ」と言い、そこから買う気もないのに来店する人や行為にも「冷やかし」が使われるようになった。当時、吉原遊郭は文化や流行の発信地だったので「冷やかし」は全国に広まった。殿様やお金持ちは舟で吉原遊郭に来ていたが浅草紙職人は田んぼ道を歩いて来て足元や服が泥だらけだったため遊女たちは服装を見れば「冷やかし」かどうか分かったという。超高級腕時計店の店長に冷やかし客を見極める方法を聞くと「HIKAKINさんが着けてる時計どれ?」と聞いてくる客だという。この店の常連の冷やかし客だという元プロサッカー選手の檜垣裕志さんは18年で2,160回来店している。実は冷やかし客はほかのお客さんが入店しやすくなるので店には迷惑ではないという。
シソンヌ長谷川さんは「きょう僕あんまり食べません」や「付き合うけどなんも買わないよ」と謎の宣言をしたのに食べ過ぎたり買いすぎたりしてしまうと話した。岡村は焼肉屋さんでさんまさんのツケで食べさせてもらったが後日「中途半端に食べたよな?6万やったらネタにもならん!」と怒られたと話した。
チコちゃんが「なんで指揮者は指揮棒を振るの?」とクイズを出した。正解は図形を見やすくするため。玉川大学の野本由紀夫教授の解説。指揮者の仕事はテンポを示すこと。同じ曲・メロディーでもテンポが違うとまるで違う印象になる。少人数の演奏では演奏者同士のアイコンタクトでテンポを合わせるがオーケストラのように大人数だとテンポを合わせる指揮者が必要になる。バロック音楽の時代、作曲家ジャン=バティスト・リュリは大きなつえで舞台の床を打ちテンポを示していたが、あるとき自分の足を刺してしまいその怪我がもとで亡くなった。そういった危険性やつえだと余計な音が入る問題があり音を出さずにテンポを示す腕を振るというやり方が考え出された。指揮者はテンポ以外にも音楽の表情・強弱も演奏者に伝えるために空中に図形を描く。同じテンポでもシャープな図形のときと柔らかい図形のときで演奏者は表現を変えている。手だけでは小さい動きも棒を持つと拡大されるので演奏者に図形の表現が伝わりやすい。また指揮棒は先端に注意を集めどこで図形を描いているか分かりやすくする効果もある。指揮者は空いている手や体全体、顔の表情でも演奏者にイメージを伝えるがこれらの細かい動きにルールはない。世界の一流指揮者の動きをご覧ください。日本のクラシック界を支えた指揮者・山田一雄さんは時に飛び跳ねるほどパワフルなスタイルで勢い余って指揮台から客席に転落し指揮棒を振りながら舞台に戻ってきたという逸話も持つレジェンド。指揮棒は必ず持たなければならないというルールはなく指揮棒を持たないことで描く図形は小さくなるがその分繊細な指示が出せる。
「奇跡の瞬間写真 大公開スペシャル」と題し視聴者から届いた11月11日11時11分11秒の写真を紹介した。164通の応募があった。おたよりは〒150-8001 NHK「チコちゃんに叱られる」係宛てまで。動画は番組公式ホームページまで。LINE登録もよろしくね。キョエちゃんが2月29日2時29分29秒の写真を募集した。
「チコちゃんに叱られる!」の番組宣伝。
チコちゃんがエンディングの挨拶とあっち向いてホイをした。