- 出演者
- 村瀬健介 山本恵里伽
明日は沖縄慰霊の日。沖縄には今から80年前に大本営へ直轄の第32軍が配備され、その後の地上戦に突入していった。軍の存在は、どう沖縄の社会を変え人々を戦争に導いていったのか。沖縄のいわゆる戦前から80年後の今を考える。80年前に築かれた第32軍司令部壕は、火災から5年、再来年の完成を目指し再建が進む首里城の地下にある。いま保存公開に向けた動きが注目されている。構造を克明に記した米国軍の調査報告書「インテリジェンスモノグラフ」。沖縄県平和祈念資料館友の会・仲村真事務局長がそのオリジナルを入手。沖縄戦をどう戦ったのかを総括し、押収した資料を基に日本軍の軍備をまとめている。捕虜への尋問から日本軍のモラル、士気について、国のために死ぬという精神を忘れないよう促されていたとする一方で、多くは沖縄で敗北し、日本は負けると結論づけていると指摘。更に司令部壕を丸裸に。1945年5月29日に首里城を占領すると、米国軍はすぐさま中に入り調査を開始。それは今に続く調査のよりどころになっている。地下壕で決められた作戦が兵士よりも住民の犠牲が上回る重大な結果を引き起こした。
第32軍が創設されたのは沖縄戦開戦の1年前、1944年3月22日。その後、実際の配備が始まると、一気に沖縄は日本軍の色に染まっていった。男性が入学したばかりの県立農林学校にも突然日本軍が入ってきた。今も立つ校門には無数の弾痕が残っている。男性は「司令部になった。すっかり学校生活は変わった。寮を追いやられた。校舎はすべて軍が接収した」と語った。その価値観に染め上げられた。男性は「戦陣訓を心に染み込んでしまうまでたたき込まれた。自らたたき込んだ」と語った。そして飛行場建設に駆り出される。後に米国軍嘉手納基地となる中飛行場。いま世界遺産となった座喜味城で陣地の構築に加わった。生活も文化も破壊され、沖縄の風景は変わっていくばかりだった。
32軍が当初司令部を置いた場所の近くに女性の自宅はあった。当時15歳、自宅周辺に日本兵の姿が日に日に増えていった。ある日、軍は軍馬を管理する32軍の獣医を自宅に寝泊まりさせ、医薬品も保管するよう求めてきた。沖縄戦研究者・沖縄国際大学・石原昌家名誉教授は「2人の体験が表しているのは日本軍による沖縄全島の軍事要塞化だった」と語る。その過程で着任したのが、牛島満第32軍司令官。沖縄戦開始の7か月前、牛島司令官は全ての兵団長に訓示。更に極秘の印が押された県民指導要綱に示した大方針が、「軍官民共生共死の一体化」。それからの新聞には「軍官民一体」の文字が目立っていく。徐々に軍と運命を共にする空気が醸成され、確実に県民の中に刷り込まれていった。男性は予科練=海軍飛行予科練習生に進んだ友に憧れた。更に当時の空気について、男性は「戦死者が出たとき、これも大きな戦意高揚に貢献していると思う。ああいうふうに死にたいなという希望を持たせる」と語る。一方で、女性の一家は葛藤していた。部隊にいる兄から出征を知らせる手紙が届いたとき、行き先は書かれていなかった。
その年の暮れ。司令部は女性の自宅近くからこの小高い丘に構築した壕に移動していたが、より強固な壕を求め首里城の近くに移っていった。そのすぐ近く、沖縄県立首里高校の前身、県立第一中学に通っていた男性も軍に学校を追い出され、陣地構築の日々を送った。卒業まで1年を残し、強制的に繰り上げ卒業。鉄血勤皇隊に組み込まれ、家族に最後の別れを告げてくるよう命じられた。男性は「朱里に戻る時の悲しい思いは忘れられない。僕の一生はこれで終わりなんだなと思いながら、1人で帰っていったこと忘れられない」と語った。数日後、米国軍が沖縄本島に上陸。進軍の目的地・首里城では司令部壕の構築がなお続いていた。
第32軍司令部壕の作業に動員された男性は、いま軍のありように抱いた疑問を思い出す。かつての琉球王国の象徴・首里城。日本軍がその地下に学徒を動員して築いた司令部壕は5つの坑口と坑道が作られた。全長は約1km、深さは約30mに及ぶ。司令部壕など戦跡を巡るフィールドワークが行われた。沖縄平和祈念資料館友の会・中村真事務局長は「ここに垂直に掘られた入り口があった」と解説した。この穴から米国軍は30m地下の中枢部に下りていった。そのエリアにつながる坑道に先月カメラが入った。壁や天井には、掘り進めたつるはしの痕。坑木も3本確認できる。残されていたビール瓶にはダイニッポンブルワリーとあった。軍と住民の関係を象徴するとも言える場所は、第5坑口だ。牛島第32軍司令官が訓示の最後に掲げた「防諜に厳に注意すべし」。地の構築などに動員してきた住民に軍事機密を知られることへの警戒心からだった沖縄国際大学・石原昌家名誉教授は「沖縄県民総スパイ視、住民虐殺、集団死そういう流れが牛島司令官によって作られた」と語った。
第32軍司令部壕第5坑口付近。壕に出入りしていた女性の手記にスパイ容疑がかかった女性が虐殺される場面が記されている。本土決戦を遅らせる時間稼ぎのために32軍は、沖縄・首里での決戦を避け南部へ撤退を決める。その際、脱出したのも、この第5坑口。南部には多くの住民が避難していた。軍民混在となった戦場で住民の犠牲は軍人を上回った。女性は、南部で見た惨状を忘れない。沖縄の運命が決められた場所。それが第32軍司令部壕だと第32軍司令部壕の保存公開を求める会・瀬名波榮喜会長は言う。いま司令部壕を保存公開する活動の先頭に立つ。瀬名波会長は「人間としては当然あるまじきことが堂々と行われていた。人間性が失われていった。獣性に取って代わっていった。人間性回復のための壕にしたい」と語った。
沖縄戦が始まる直前、新聞には「南西諸島」の文字。社説は、敵がい心をあおった。そして今、南西諸島には自衛隊の配備が急速に進む。与那国町長は「全国民がいつでも日本国の平和を脅かす国家に対しては、一戦を交える覚悟が今問われているのではないだろうか」と述べた。与那国島ではおととし、米国との共同訓練に絡む戦闘車が公道を走った。石垣島や宮古島と同じようにミサイル部隊の配備が計画され、新たな土地の取得、有事の際に自衛隊などが使用することを前提とした空港滑走路の延長や港湾の整備計画が進む。米国・エマニュエル駐日大使も訪問し、日米同盟をアピール。政府は今月、台湾有事を念頭に先島諸島の住民を九州各県と山口県へ避難させる計画を九州地方知事会に提示した。80年前を体験した人々は、80年後の風景に何を見るのか。男性はは「沖縄戦前夜そのもの。戦争するとときは、みんないいことを言う。東洋平和のためならばとなったら誰が反対するのか、それはもうノーと言えない状態に追い込んでしまう」、女性は「絶対に戦争が始まったらもう収まらない」、男性は「戦争の愚かさ。正気の沙汰とは思えない」と語った。
書家・儀間昭男さんは、自らが記したメッセージを街頭で掲げる。儀間さんは「基地は抑止力のために造ると。沖縄の方言で“よくし”は“ゆくし”と発音→“うそ”という意味」と語った。沖縄国際大学・石原昌家名誉教授が最も印象深かったという証言者の1989年5月に聞き取った声を紹介。実は沖縄戦の31年前、ある軍事演習が行われていた。1914年1月の新聞が報じているのは、まるで沖縄戦を想定していたかのようなシナリオ。仮想敵が首里の軍司令部を目指して進軍し、それを学生隊の力を借りて迎撃していた。平和なときに戦争は準備される。それを裏づけたのが沖縄戦だった。
取材した佐古忠彦記者がスタジオで解説「いま起きていることを全部つなげてみたとき、80年前を知る人々にとってはやはり戦争準備の景色に映る。全てが戦争前提の議論に違和感を拭うことはできない。南西諸島防衛という言葉は昔から今もずっとあるが、軍隊は住民を守らないというのが沖縄戦の最大の教訓。守るというのは一体どういうことなのか、改めて考える気がする」。複数の方がものを言えない空気と言っていたが、今再びそうした空気が覆っていないかと考えてしまった。佐古記者が解説「いつの間にか台湾有事は日本有事と言われて、なぜそうなのか、その説明が尽くされたとは言えない。このままでは軍拡の応酬すらおそれる。遠い場所の戦争に刺激されるさまは、昔も同じ。軍事演習、1914年は第一次世界大戦が起きたころのこと。そこから戦争準備が進んだということを考えれば、80年前の世界というのは決して昔話ではなく、証言者の話には今が見える気がする。戦争するときはみんないいことを言ってノーといえない状態に追い込むというのがそのまま、今の空気だと思う」。
自民党内からまた岸田総理大臣の不満の声。北海道旭川市で行われた会合で自民党の若手議員・東国幹衆院議員は、岸田総理について「個人的な思い」と前置きしたうえで「軽々しく再選を口にせず、橋渡し役を担ってほしい」と述べ、「自民党は人材豊富だ、9月の総裁選では国民の信頼回復のため、新しい門出が求められると思う」と再選を目指す考えの岸田総理に総裁選に立候補しないよう求めた。党内から公然と岸田総理に対する不満が相次いでいて、求心力の低下が浮き彫りとなっている。
ネーションズリーグ男子:日本3−0オランダ。日本はストレート勝ちで女子に続いてファイナルラウンド進出を決めた。初のメダルへ王手をかけている女子日本は、今夜パリ五輪でも対戦するブラジルとの準決勝に挑む。
セリーグ:DeNA5−2阪神。負けない男、DeNA・東克樹が緩急自在のピッチングで、左投手では球団49年ぶり開幕から無傷の6連勝。
この大会の成績でパリ五輪出場者が決まる全米女子プロゴルフ。パリ五輪代表争い:笹生優花(6位)、古江彩佳(20位)、畑岡奈紗(21位)、山下美夢有(22位)。全米女子プロゴルフ2日目:1位タイ・Sシュメルツェル、3位タイ・渋野日向子、6位タイ・山下美夢有、23位タイ・古江彩佳、23位タイ・勝みなみ、予選落ち・畑岡奈紗。
次回の「報道特集」の番組宣伝。「少年刑務所 訓練船 出漁」など。
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