- 出演者
- 村瀬健介 日下部正樹 山本恵里伽 金平茂紀
オープニング映像。
特集は「説明責任果たさず?岸田総理退陣へ」「戦争と文学”新たな戦前”を語る」。
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- 岸田文雄
Uターンラッシュがピークを迎えている。けさの東京駅はきのうの運転取りやめの影響の影響を受けた人たちの姿があったが、大きな混乱は見られなかった。東海道新幹線は始発から通常どおり運転を行っており、東京−新大阪間の上下線でのぞみの臨時列車を7本運転。空の便は今日も日本航空と全日空が羽田空港を発着する便を中心に国内線と国際線計76便を欠航し、約1万人に影響が出ている。
大量のプランクトンの死骸が分解されて酸素が減った海底の水が強風によって上昇し海面の色の変化が起こる青潮と呼ばれる現象で、東京湾が青白く変色している。青潮は今朝から東京湾北側の船橋港や千葉港などで確認されていて、台風7号による強風が原因とみられている。青潮による被害は今のところ確認されていない。
関東や東海などで最高気温が39℃以上を記録した。兵庫・淡路市と福岡・太宰府市では35℃以上の猛暑日が30日連続となり全国の最長記録を更新した。名古屋では午前10時すぎに気温が35度を超え、最高気温は39℃を観測。名古屋は24日連続の猛暑日となり、統計開始以来の連続記録更新を続けている。岐阜県では美濃で39.2℃を観測。三重・桑名市でも38.7℃を観測した。東海地方の危険な暑さは明日も続く見込み。
自民党総裁選には少なくとも10人が出馬に意欲を示している。きのう麻生副総裁と会談し総裁選出馬について了承を得た河野デジタル大臣は、今日までに総裁選に出馬する意向を固めた。小林鷹之前経済安保担当大臣は訪問先の新潟・燕市で「複数の同僚議員から声をもらっているのは事実」と述べ、自民党総裁選への出馬に改めて意欲を示した。関係者によると来週19日にも出馬会見を開くことで調整している。岸田派の上川外務大臣も総裁選へ立候補する考えを周辺に示したうえで、自身とつながりのある議員を中心に支援の要請を始めた。岸田派ナンバー2の林官房長官も既に出馬したい考えを岸田総理に伝えており、週明け以降具体的な準備に向け周辺議員らと対応を協議する見通し。上川外務大臣は派閥にとらわれない形で推薦人を確保できないか模索している。
2006年にノーベル平和賞を受賞し、現在バングラデシュ暫定政権を率いているムハマド・ユヌス首席顧問は「フランスに滞在中に反政府デモを主導していた学生から突然電話がかかってきて首席顧問への就任を求められた」と明かした。暫定政権には反政府デモのリーダーだった2人の大学生が入閣し、今回JNNの単独インタビューに応じた。入閣した大学生ナヒード・イスラム氏は「経済危機に陥っている。我々はユヌスさんの実績と知恵によって国難を乗り越えたいと思った」と語った。暫定政権は総選挙を行いたい考えだが、治安の回復などが当面の課題。
報道特集の番組宣伝。「24日の特集で詳しく 学生主導のデモで政変 バングラデシュで何が?」
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パリ五輪を終えたメダリストたちが各地でイベントに参加し、子どもたちとの交流を楽しんだ。スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋選手は地元の相模原市で報告会を行った。吉沢選手は「次のロサンゼルス五輪に向けても頑張る」と述べた。丸の内では体操男子団体で金メダルを獲得した橋本大輝らが子どもたちへ体操教室を行った。
Nスタの番組宣伝。
けさの東京駅は昨日の運転取りやめの影響を受けた人たちの姿があったが大きな混乱は見られなかった。東海道新幹線は始発から通常どおり運転を行っており、東京−新大阪間の上下線でのぞみの臨時列車を7本運転。高速道路は上りが混雑し、午後5時時点で中央道・小仏トンネル付近16キロ、東北道・羽生PA付近11キロ、東名・桜平トンネル付近10キロの渋滞が発生している。
気象情報を伝えた。
自民党総裁選への不出馬を表明した岸田総理の約3年間にわたった政権を検証する。岸田総理は総裁選を通じて選ばれた新たなリーダーを一兵卒として支えていくことに徹していくと述べた。閣僚経験者は「内閣支持率が低迷したままなんだから当然」「長年の自民党の膿が岸田総理の時に明るみに出てしまった」などと話している。岸田政権は平成以降では安倍元総理大臣、小泉元総理大臣に次ぐ3番目の長さとなったが、JNNの世論調査を見ると不支持が支持を上回る期間が長く続いたことがわかる。中央大学の中北教授は「岸田総理が2023年に福島の子育て支援施設に行った際に子どもになんで総理大臣になりたかったのかと聞かれ日本で一番権限が大きいのでと答えていた」「権限がある非常に強い総理であり続けることが自己目的化している印象を持った」と語った。
中北教授は岸田政権について、やっている割にはやっている感じがしないのが岸田政権の評価になっているのでは、状況追随的でこなしてきたから国民からするとやっている感じがない、政権の意思がどこにあるのか見えにくいと述べた。
日下部は政治家から緊張感がどんどん失われている、岸田総理は広島選出だと強調をしておきながら8月6日の追悼文に踏み込んだ表現は何もなかった、緊張感がないのは政治家たちが有権者たちときちんと向き合っていないことの証と話した。村瀬は全てがリセットされるという期待感が自民党側にはあると思うが裏金問題は実態解明もされていない、先送りされた重要な論点がいくつもある、再び政治とカネの問題で政治が信頼を失うことがないように私たちは忘れないということが重要と話した。
世界各地でパレスチナの詩人たちが読んだ詩が反響を呼んでいる。日本でも詩を特集した雑誌が異例の重版となった。6月には東京でその詩の朗読会が開かれた。ノンフィクション作家・澤地久枝さんは来月で94歳になるが、今も万年筆を手に原稿用紙に向かっている。東京で生まれた澤地は4歳のときに家族で満州に渡り、吉林で終戦を迎えた。澤地さんは「親子3人が何とか食べていくために母が判断して満州に行った」と語った。
1931年の満州事変によって日本は、中国東北部を占領し満州国とした。国策により、多くの人たちが開拓団として日本から送り込まれた。少女時代の戦争の記憶をノンフィクション作家・澤地久枝さんは本「14歳満州開拓村からの帰還」(集英社新書より)につづっている。澤地さんは「戦中は軍国少女だった」「時代というものは」怖いと思う」などと振り返った。当時は終戦間際、ソ連が満州に侵攻するころには通っていた学校は、野戦病院になっていた。食事担当を命じられた澤地さんは、おむすびを作って各病室に配った。そして8月15日、終戦の日、吉林の神社で野戦病院の解散を告げられた。
満州で敗戦を迎えた人たちは、壮絶な難民生活を強いられることになった。本「14歳満州開拓村からの帰還」(集英社新書より)の内容を紹介。難民生活は女狩りにおびえる日々でもあった。ノンフィクション作家・澤地久枝さんもソ連兵に襲われそうになったという。日本政府に見捨てられたと感じた。発疹チフスで多くの人が亡くなった。一家が引き揚げ船で日本に戻れたのは1年ほどたってから。澤地さんは「国が何か間違えた大きなことを決める時には、弱いところへみんなしわ寄せがくる」と語った。戦後、澤地さんは東京の出版社で働きながら夜間学校に通い、早稲田大学の夜間部に進学。戦争については特に考えず語ることもなかった。澤地さんは「早稲田の学生のとき、戸塚の映画館で“きけ、わだつみの声”を見た。こんなに戦争を疑って、嫌で戦争に行きたくないと思った人たちがいて、しかも死んでいる。映画館の階段を落っこちるほど、衝撃を受けた。それから変わった」と語った。
自身の無知を恥じたノンフィクション作家・澤地久枝さんは、戦争に正面から向き合い多くの本を書き記した。澤地さんが反戦を訴えるようになったのは自然な流れだった。しかし時代は徐々に変わっていく。憲法を変えろとの声が一方で出る中、戦争放棄などをうたった憲法9条を守るため、澤地さんは作家・大江健三郎らとともに「九条の会」を発足させた。安保関連法には、当時の安倍政権の姿勢に危機感を覚え国会前での反対集会を呼びかけた。澤地さんが戦争を語り続けるのには訳がある。母の弟であり、軍人だった叔父一家が敗戦直後に自決していたことがあとになって分かった。カメラの前ではこれまで語ったことのなかった悲劇について、澤地さんは語り始めた。澤地さんは「いま人生終わりかけて、これだけは書いておこうと思うことは叔父一家のこと」と述べた。
今、台湾有事などを念頭に沖縄では、自衛隊の増強が急速に進んでいる。沖縄で暮らしていたこともあるノンフィクション作家・澤地久枝さんは、この変化を特別な思いで見ている。澤地さんは「この前の戦争のときにはみんなひどい目に遭ってる。沖縄の島々は。またなんで同じように沖縄を見殺しにするようなことをするのか政治は。沖縄がやられるってことは、日本全体がやられるってこと。何にやられるかと言ったら“不法な政治”。不法な政治は人間の暮らしなんか考えていない。政治はどんなに簡単に自国の民を切り捨てるか、振り向きもしないことは経験上よくわかっている。いい戦争なんてない。明日という時代には、戦争という手段はもうやめると。どんなに遠回りになっても話し合いで片付けて生きていこうと。何も生まれない。殺しあっても」と語った。