- 出演者
- 堂真理子 大下容子 佐々木亮太 デーブ・スペクター 林美沙希 林美桜 中野信子 水越祐一 仁科健吾
出演者が挨拶した。
藤井聡太八冠に昨日おくられたのは「愛知県民栄誉賞」。スポーツ界の浅田真央さん、星野仙一さん、吉田沙保里さんについで4人目の受賞となった。今回藤井八冠におくられた記念品が書道で使う硯。理由は5年前に遡る。2018年、藤井聡太六段のときに愛知県特別表彰がおくられ、このときの記念品は豊橋筆だった。藤井八冠は日頃から色紙などに「筆」で字を書く機会が多いことから、今回は筆とセットになる硯が選ばれたという。藤井八冠は返礼として”大志”と書いた色紙を贈ったという。受賞から2時間後、藤井八冠の姿は地元の瀬戸市役所に。瀬戸市最高の賞と言われる「瀬戸市名誉市民」の称号をおくられた。そんな藤井八冠は今週、香川県のローカル鉄道・ことでんで車掌と運転士を体験した。30分間の貴重な体験となった。
オープニング映像が流れた。
目白庭園の中継映像を紹介。目白庭園はJR目白駅から徒歩5分、池袋駅からも徒歩15分ほどの住宅地の中にある回遊式庭園。江戸時代の武家屋敷を思わせる場所になっている。入場は無料で1周5分かからないコンパクトな庭園。
「新型コロナ5類移行後初忘年会シーズン・忘年会事情に変化アリ!?」「日本・ベトナム外交関係樹立50周年 俳優・杉良太郎ベトナムとの架け橋」とニュースラインナップを紹介。
- キーワード
- SARSコロナウイルス2杉良太郎
今週火曜、ベトナムのヴォー・ヴァン・トゥオン国家主席や秋篠宮ご夫妻が出席されたベトナム・日本外交関係樹立50周年記念式典が行われた。その中には俳優・杉良太郎さんの姿も。杉さんにはベトナムと深い関わりがあった。34年前、杉さんはベトナムと文化交流をはかるため、チャリティーコンサートを開催。さらに首都ハノイにある児童養護施設を訪れ、文具セットのほか、サッカーボールやおもちゃ、ニワトリ300羽を寄贈した。この時、12歳だった少女がグェン・タン・ガーさん。ガーさんは8歳の時に両親を病気でなくし、その後3人の弟とともに児童養護施設で暮らしていた。子どもたちの貧しい食生活などを目の当たりにした杉さんは一つの決断をする。杉さんは私財をなげうってこの施設にいる子ども全員の支援をすることを決めた。学費や生活費など全て杉さんが支援。ガーさんの兄弟は全員が大学を卒業することができたという。その後、ガーさんは日本語を学び、杉さんがベトナムに建てた日本語学校で教師として働いている。給料の一部は経済的に恵まれない子どもの学費支援にあてている。杉さんは今もベトナムの親のいない子どもたちの支援を続けている。
大妻女子大学で里親制度を研究している山本真知子准教授によると、日本国内の場合は虐待や親の病気など様々な事情により、家庭での養育が困難な子どもを自分の家庭迎え入れ育てる里親制度がある。ただし、養子縁組とは違い、親権は実親となっている。また、養育里親の場合、里親手当として月9万円が支給される。海外で親のいない子どもなどに対してはどのような支援ができるのか?山本准教授によると、海外の子どもに対しては団体を通じて「寄付」として支援することになるという。実際、海外への寄付活動を行っているプラン・インターナショナル・ジャパンでは、日本での活動は今年で40年を迎え、これまでに寄付した日本人は16万4460人にのぼり、支援活動の総額は約900億円にのぼっているという。また海外の貧困の子どもに対し、教育支援を行っている民際センターの秋尾理事長は「海外には支援を必要とする子どもたちがいる現状や、支援体制があることをより世の中の人に理解してもらい、持続可能な体制につながることを期待している」と海外への支援が広がってほしいと話していた。中野さんは「なかなか口で言うの簡単ですけど、できるのは簡単ではないですし、長期間に渡ってやるというのが杉さんの活路と言うかそういうのを物語っている」などと話した。
東京・新橋にある「根室食堂」では、カレンダーが忘年会の書き込みで埋まるなど、コロナ禍前の水準に戻りつつあるという。忘年会を楽しみにしている一方で、若い世代からは「もういい」や「インフルエンザが怖い」などの声があった。これまでの忘年会はどんなものだったのか?過去の映像から振り返ってみる。
いまから56年前の1967年の年の瀬を移したニュース映像が流れた。高度経済成長期のマイカーブーム、飲酒運転を取り締まる警察官の姿が紹介されていた。第1次オイルショックがあった1973年には、不況に負けず高級ホテルでビュッフェスタイルの忘年会を開く企業が紹介された。バブル経済真っ只中の1989年には、浅草の料亭で歌や踊り・三味線など華やかな忘年会も行われた。そして1993年、バブル崩壊後の銀座では、忘年会で飲み歩くことに引け目を感じる場面も。シメは屋台のラーメン、そして最終電車で爆睡して終着駅まで行ってしまうお父さんたちも。さまざまな時代で年の瀬の恒例となってきた忘年会。ミドル世代は若者の意識の変化に「やっぱり顔を合わせて飲むっていうのもいかに楽しいかということを僕らは知っているんですけど、知らない人たちに知ってもらいたいんですよね」と話す。
今では年末の風物詩となっている忘年会だが、歴史がある。日本で初めて忘年会を本格的に論じる本として2006年に出版された「忘年会」によると、日本の忘年会のルーツは室町時代の「年忘れ」だという。皇族の日記「看聞日記」に「12月下旬、歌会で酒を飲み乱舞する」という描写が出てきており、これがルーツの1つだという。その後、江戸時代になると中流以上の町人の間では幕府の役人との年忘れの大宴会の記録があり、年末には「接待忘年会」が盛んになった。そして昭和30年代の高度経済成長の波で会社員の間でも「忘年会ブーム」が訪れ大衆化した。そして今年は新型コロナが5類に移行して初の忘年会シーズンということで、変化もある。東京商工リサーチの年末年始の忘年会・新宴会を予定している都内の企業の割合が、コロナ禍の2021年の調査では30.0%だったのが今年は56.9%と復調を見せている。東京商工リサーチ・原田情報部長は「これまでの忘年会は定例行事だったが、親睦や従業員の士気向上など開催に意味付けが必要になっている」と指摘する。コロナが5類に移行して初ということで、企業にも変化が出ている。シチズン時計が行った意識調査では、飲み会で「午後9時までに終わって欲しい」と思っている人が約40%いることがわかった。また、20代は「10時までに帰りたい」と全年代を通じて一番多かった。東京商工リサーチ・原田さんは「若者の飲み会離れと言われる中、コロナ禍に学生時代を過ごした新卒世代は『忘年会などをやりたい』という人もいたため、コロナ禍の様々な変化で社内コミュニケーションとの向き合い方が大きく変容しているのでは」と指摘する。中野さんは「コミュニケーション大事とか言う割に私はあまり呼んでほしくない。5人以上の忘年会は発展性がないし、大した議論ができないので本当に時間の無駄としか思えない。皆さんがやるのはいいけど、私は呼ばないでほしい」などとコメントした。
北朝鮮メディアは金正恩総書記が空軍司令部を訪問したと伝えた。また娘のジュエ氏とともにデモ飛行や海軍とのバレーボールの試合を参観したという。先月打ち上げた軍事偵察衛生の正式運用はきょうから開始されると主張している。(労働新聞)
プーチン大統領が12月14日に長時間の生放送で質問に答えるという。ロシア大統領府は、去年は見送られていたプーチン大統領の「国民との直接対話」と「大規模な記者会見」を同時実施すると明らかにした。この場でプーチン氏が来年3月予定の大統領選挙への出馬を正式に表明する可能性がある。「国民との直接対話」の質問は、12月1日から受け付けプーチン大統領自ら選ぶという。
天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが22歳の誕生日を迎えられた。宮内庁は誕生日に際し愛子さまが皇居の書陵部で百人一首の写本や虫などが和歌を詠み合う物語が描かれたすごろくをご覧になる姿を公開した。愛子さまは学習院大学で和歌などの日本文化を勉強しており、現在は卒業論文に取り組まれている。今年は両陛下のご結婚30周年の節目で、愛子さまは両陛下の歩みや皇室の歴史や伝統に触れ皇族としてのおつとめについて改めて思いを深くしていらっしゃるご様子だという。
国民民主党の前原誠司代表代行が離党し、国会議員5人で新党を結成すると発表した。新党名は「教育無償化を実現する会」で前原氏の意外で嘉田由紀子参院議員など5人で結成される。国民民主党の榛葉幹事長は会見で“仲間や支援者をだますような政治家を国民が信頼するとは思えません”などと前原氏らを厳しく批判し、「維新予備軍だ」と指摘した。その日本維新の会の馬場代表は、前原氏の新党と「積極的に協調したい」と話しており、今後の連携が注目される。
今年4月、岐阜市の小学校で風船に記して飛ばした子供達の将来の夢。およそ300km離れた栃木県にまで飛んだ風船には「スポーツカーにのってレースにかちたい」と書かれていた。地元で梨農園を営む黒田さんは、風船が届いたことをSNSに投稿した。この投稿をきっかけに「子どもたの夢を応援したい」ときのうプロレーシングドライバーの平手晃平さんらがスポーツカーを小学校へ運びこんだ。風船を飛ばした1年生の加藤涼介くんをはじめ、子どもたちは知らないサプライズ計画となった。憧れのGT-Rと対面した涼介くんはレーシングカーにも乗り込み嬉しそうな顔をみせた。
サッカーJリーグ・初代チェアマン、川淵三郎さんの「文化勲章受章を祝う会」がきのう開かれた。サッカーをはじめ、バスケットボールなどの発展に貢献したことが評価され、スポーツ界では市場3人目の受章。会場となった国立競技場には政界・スポーツ会などの著名人約430人が駆けつけた。そして「この場を借りて妻に感謝を述べたい」と話した後、妻・康子さんの元に向かった川淵さんは「康子さん、61年間献身的に僕を支えていただいてありがとうございました。僕よりも1日よりも長く生きていてほしいと、それだけを約束してほしいと思います。どうかよろしくお願いいたします」と声を震わせて述べ、「感謝の気持を込めてハグをさせて下さい」とハグをし、国立競技場が大きな拍手に包まれた。大下さんはこの会の司会を務めており、「川淵さんはサッカーJリーグ、バスケットBリーグ、2つの初代チェアマンでスゴイ方なんですが、最後に奥様に伝えたいとのことで、それまでの口調から一転して言葉をつまらせたときに、私たちみんなももらい泣きというか、こんなふうに奥様に深い感謝と愛を表現できる方だからこそ、文化勲章を受賞されたんだなと改めて思うし、私がいうのは僭越ですが、川淵さんはとても純な方でいらっしゃる。そこがまた魅力」などとコメントした。
コーナーオープニング映像が流れた。