- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
東京・赤坂の焼き肉店専門店では決めの細かい霜降りを使用している。脂はしつこくなく、バターのような芳醇なかおり。コースは5280円から。このお肉の正体は鹿児島のブランド牛。2年前にこの和牛にメニューを変えると口コミで広がり店の売り上げが急増。和牛を育てているのは肉牛一筋の中山さん。2年前には肉質を競う全国大会で日本一に。こだわっているのは餌で煎り大豆など15種類以上のブレンドして使っているが肉の味を劇的に変えたのが麹。麹菌を蒸した米などにふりかけて繁殖させたのが麹。みそや醤油などの発酵食品を作るのにかかせないもの。中山さんが使っているのは麹菌の中でも河内菌という種類。これを餌に混ぜると腸内環境が整い栄養も改善。結果的に牛の体重が50キロも増えて肉質も向上した。この河内菌がひっぱりだこになっている業界は焼酎。豊永酒造は全国酒類コンクールで9年連続1位に輝いた。豊永さんは焼酎造りで頼るのは河内菌。蒸した麦を入れた機械に河内菌を入れ、一日待つと河内菌が麦に付着し白っぽいものが付着。これが麹。河内菌で作った麹にはある特性がある。麹から出る酸が雑菌の増殖を防いでくれるので、九州などの暑い地域で腐らせずに醸造できると重宝されている。森伊蔵などの名だたる焼酎の8割が河内菌を使用している。
鹿児島空港のほど近くに焼酎の一升瓶のような建物の河内源一郎商店が。そこへ観光バスがやってきたが麹のテーマパークにもなっているために全国からお客がやってくる。河内菌を使用した商品を扱っている物販コーナーでは観光客が焼酎を楽しんだ。薩摩自顕流は世界大会でトップを獲得したこともある。他にも塩麹や甘酒など河内菌を生かした商品が勢揃い。他にも塩麹シュークリームはカスタードの原料の卵にもこだわっている。その飼料には河内菌を混ぜているがビタミン豊富な黄身ができる。また館内にはレストランもあり、売りは河内菌を食べて育てさせた豚肉料理。
河内源一郎商店の会長は山元正博。会社の三代目で河内菌を使用した商品を手掛け売り上げを7倍に伸ばしたやり手。1931年に祖父の河内源一郎が創業したが当時焼酎はの日本酒用の麹菌で作られていたが暑い九州では腐敗しやすかった。今の大阪大学の醸造科を卒業した源一郎は問題の改善に取り組んだ。目をつけたのは沖縄の泡盛。熱くても腐敗しない麹菌を見つけ出し、河内菌と名付けているが韓国のマッコリもほとんどがこの河内菌が使われている。多くの人に感謝された源一郎は麹の神様と呼ばれるように。その河内菌を受け継いだ山元は年間1億円を投じて麹の可能性を探る研究を行う。河内菌で家畜飼料の事業に進出した山元。養豚王国鹿児島のおよそ2割の事業者が使用するようになったのは変わるのは肉質だけではないという。臭くないという養豚場は、豚の成長が10日ほどはやくなりそ餌代も節約できる。山元はいろいろなものに河内菌をふりかけて麹を作ってはその特性を探っている。豚骨に施すとタンパク質をアミノ酸に分解するというが旨味たっぷりで臭みのないとんこつラーメンができるという。山元は茶葉にも河内菌をふりかけ、カロリーの低い茶葉で麹を作るのは難しいが、厳選した河内菌を使用すれば3日で菌が繁殖。茶麹で常識を覆す新商品を開発中。
小池は河内源一郎商店の塩麹シュークリームの味の感想にまろやかと答えた。山元は自身の祖父は麹を発見した麹の神様だという。また酒造りのメカニズムや麹の研究も全部終わったが近年になって腸内環境が話題になってもう一度麹が見直されているという。また有名な焼酎には河内商店の種麹が使われているという。種麹は麹菌のことで麹を作るもとになる麦や米などにふりかけて麹を作り焼酎を生み出す。また種麹の値段は300グラムで1000円だが、ヒット袋で一升瓶の焼酎800本が出来るという。また同じ麹を使用しても杜氏の技術や芋焼酎ならさつまいもの品質。水によって味が変わってくると答えた。また種麹よりも飼料の売上のほうが大きいと言うが、餌の節約と、肉が霜降りになるのが特徴だという。
今年突如として小林製薬の紅麴を含むサプリの摂取でお客が腎疾患などの健康被害を起こしていたことがわかった。麹そのもののイメージダウンになってしまうと危機感を強めた山元は、セミナーを開催し麹造りの安全性を説明している。
番組はTVerで配信中!
- キーワード
- TVer
河内源一郎商店は本格焼酎メーカーの8割を顧客にもっている。麹蔵は観光施設にもなっていて今年には麹・発酵ホテルを建設。一泊2食付で2万5850円から。宿泊客は麹で味噌づくりなどを体験できる。山元は1950年に生まれたが、父で二代目の正明は娘婿だった。幼い頃から家業を継ぐことを決めていた山元は、東京大学農学部を卒業し27歳で河内源一郎商店で働いた。父は麹造りの機械化を行い、10年がかりで自動的に麹が作れるもの機械を完成させた。焼酎の品質もよくなると九州の蔵元の8割が使用する用になり大ヒット。父もまた時代の長寿に。しかし歯車が狂いだすのは1985年。父が自分でも焼酎を作ってみたいと錦灘酒造というメーカーを買い取った。麹屋が麹にこだわって作った焼酎は予想以上に売れた。しかし状況が一変する。
大量の在庫を抱え売れなくなってしまった自社製品について山元は酒屋に話を聞いてまわった。大手の焼酎メーカーが裏で問屋に圧力をかけていたことがわかったが、その時父は自分の息子をダシにして会社を守り、錦灘酒造の経営を山元に交代させ幕引きをはかった。さらに責任をとらせるように河内源一郎商店もクビに。焼酎を作っても売る場所もなく呆然としていた山元。そんな時目に入ったのは飛行機。その時に観光客に自分で売ることを思いつき一世一代の勝負に出、焼酎工場と観光施設の合体させようと金策に走り、銀行から8億円を引っ張り出した。1990年代には観光工場をオープンさせ、そこに焼酎の歴史を味わえる商品をつくり並べ、100年以上前の製造レシピをもとに再現したものも。しかし当初の売上は目標には届かず、資金が底をつきかけていたという。そこで、長年やってきた古流剣術の野太刀自顕流の道着を着て全国の旅行会社に営業してまわった。すると観光バスが並ぶようになり、評判が評判を呼ぶようになり年間45万人を呼び寄せる人気スポットに。その6年後には銀行からの借金も完済。父の死をきっかけに河内源一郎商店を引き継いだ。山元は父が自分に責任を押し付けた理由には父は社会的地位があがり焼酎の帝王となっていてプライドが許さなかったと答えた。山元はその責任を押し付けられ買収した酒造会社の社長にさせられたが、その絶望の中、人は金がなくなると酒に逃げるか眠くなるかどっちかだという。やけ酒はしたことはないが朝から眠い状況が続いていたが、人通りの無いところで車の中でどうしようかと考えながら毎日寝ていたという。
山元は親子三代で受け継いできた河内菌というバトンを次の世代に渡そうとしている。その相手は元心臓外科医で4代目で息子の山元文晴。慈恵医科大学で数年前まで医者をしていたが、麹は万人を救えると決心したが注目しているのは茶麹。茶麹が出す成分を分析すると炎症を抑える働きを見つけ茶麹の抽出液から傷薬を作った。東京医大と強力して実験も行い、マウスの傷口に茶麹の傷薬を塗り、自然治癒と比べると7日後には自然治癒後に任せた方はまだ傷口は開いているが茶麹を塗ったほうが塞がっていた。このまま医療分野の方に広げていきたいという。山元は息子が突然告ぐと言い出したのは本当か?と疑ったという。また経営者よりも研究者のほうが楽しいと答え、接客業をすると喧嘩してしまうと答えた。また研究の楽しい所には失敗も多いがそれが多いほどワクワクすると答えた。
河内菌をはやしたカツオの生節入りのだし醤油は余ったマグロにかければ酵素がきいて30分でネットリになり簡単に漬け丼の味に。山元の妻は麹使いの達人。茹でたパスタをにんにくでいためて塩麹を大さじ一杯。そこに茹でた野菜をいれコショウをふる。河内菌が小麦粉や野菜のうまみを引き出す。
村上は今日の総括に焼酎の廃液が海洋投棄されることが問題になった。さまざまな方法を試したが、最後にたどり着いたのは麹。麹の発酵熱で廃液を乾燥し、飼料化することに成功した。この飼料は、家畜の毛並みをよくし、肉質も味もいい。ということを山元さんが話したとき、「だったらもっと儲けが出ないと」と言いそうになったが、なぜか言えなかった。それは金儲けとは別の道を歩んできて今も歩んでいるからだ。社名の河内源一郎商店は泡盛に使われていた黒麹から焼酎に適した泡盛黒麹菌の培養に成功した初代の名前。「麹の神様」と呼ばれている。とした。
- キーワード
- 河内源一郎商店
カンブリア宮殿の次回予告。