- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 加藤綾子 オダギリジョー 近藤千尋 きょん(コットン) 西村真二(コットン)
オープニング映像。
オープニングの挨拶。ゲストはオダギリジョー、コットン、近藤千尋。
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- チリ
西村は、ジャングルに住む先住民に会いに行くロケで弓持った先住民に襲われた、文明堂のカステラを差し出したら吐き出されたと話した。オダギリは、アマゾンでの撮影でよくわからない虫に刺されて噛み切ったと話した。
スタッフは西興部村に暮らす人たちを取材。牛乳豆腐を振る舞ってもらった。続いて忍路子集落の順平さんを訪ねた。所有する敷地面積は1万坪で、山で採取した山菜やジビエ肉の料理を振る舞ってもらった。
岩手の山奥に暮らす瞬さん一家を取材。標高450m住民6世帯の集落で、羊や烏骨鶏を飼って自給自足生活をしている。野菜は年間20種類を栽培。丸い畑もあり、水害のときに水が弱まって流れていくという。現在5歳の娘の晴凪ちゃんは、2歳のときに山奥に移住してきた。YouTubeにも興味がなく、自然が遊び相手だった。妻の知美さんは米粉パンも手作りしていた。仕込んだ柿酢はリンスにも使っている。スタジオのオダギリは、小学校時代は河本準一と同級生で自分よりモテていたと話した。
オダギリは、初めて撮った映画のカメラマンがクリストファー・ドイルだった、酔っ払っていたので心配でモニターをチェックしていたら芝居していた柄本明に「ずっとモニター見てんじゃねえよ」と怒られた、自分も俳優だから気持ちがわかったと話した。ユースケは、オダギリとドラマで共演したときに劇中で流れた曲を「変な曲だね」って言ったら「それ本当に僕の曲なんです」と言われたと話した。
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- クリストファー・ドイルバナナの皮柄本明
岩手の山奥に暮らす瞬さん一家を取材。収穫した桑の実でアイスを作り、羊の毛を刈った。お昼は食材費0円で秋田フキの鹿肉詰めを作った。共通の友人を通して知り合った瞬さんと知美さんは出会ってから4年後に結婚し、晴凪ちゃんが誕生した。自然の中で子育てがしたいと空き家になっていた知美さんの実家に移住した。
きょんは、友達が家に遊びに来る時えなりかずきのモノマネをしないと家に入れてもらえないというルールがあった、父親がインターホンで判定していたと話した。
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- えなりかずき
福島の山奥に暮らす静枝さんを訪ねた。家に上げてもらい、菜の花のおひたしやキウイを振る舞ってもらった。家に帰ってきた夫の進さんにも話を聞いた。相撲を見るのが好きだと話した。別の日、2人は外でゼンマイを干していた。集落の2軒隣で生まれた静枝さんは、20代のときから社会奉仕活動を行う婦人会に参加。20人ほどを束ねるリーダーとして皇居の清掃活動をしたこともあった。37歳のときに7歳年下の進さんと結婚し、息子を育て上げた。自分が生きてきた集落を守り続けたいと山奥に住み続けている。
福島の玉梨とうふ茶屋を訪ね、店主の謙一さんに話を聞いた。豆腐を買って帰るだけでなく店内で食事もできる。標高375mでスーパーやコンビニもない場所だが、連日客で賑わっている。謙一さんが48歳のときに開業した。おからドーナツや豆乳ソフトクリームも販売。かつては15人の従業員を抱えていた。
オダギリは、初めて監督したときのストレスがすごくて口内炎が20個くらいできたと話した。
福島の玉梨とうふ茶屋を訪ね、店主の謙一さんに話を聞いた。客席おの下はチョウザメを鑑賞できるようガラスの床になっていた。金山町で生まれた謙一さんは17歳のときに山スキーの最中崖から転落し、大けがを負った。10回もの大手術を経て辛うじて歩けるようになったが、元通りにはならなかった。睡眠薬を大量摂取して3度自殺を図った。酒やギャンブルに明け暮れ、実家からお金を持ち出しては遊び回っていた。大事に育ててくれた母を守りたい思いから実家に戻り、母と暮らすことを決意した。生計を立てるため、豆腐なら足の悪い自分でも作れると考えた。大豆の代わりに枝豆を使った豆腐は人気を呼び、連日観光バスが来るほど繁盛した。母は15年前に98歳で亡くなった。その後東日本大震災の影響で売上が激減。従業員も去っていき、専務の横田さんだけが残った。最近は店の常連がボランティアに来たり元従業員も手伝いに来るなど、以前のような賑やかさを取り戻しつつある。
宮崎北西部の山に暮らすブライアンさん一家を取材。5歳年上の日本人妻、3人の息子、3人の娘の8人家族。家は築60年の古民家で、300万円で購入した。大きい病院がなく、妻の由美さんは宮崎市で出産した。もらった空き缶などを販売して生活費の足しにしている。夕食は自家製ピザや自家製ニラとアサリのニンニク炒めなど。ガスは通っていないためカセットコンロを使って調理していた。18キロ先に新燃岳があるため、子どもたちはヘルメットを被って通学していた。バージニア州で生まれたブライアンさんは、大好きな父が仕事でいないことが多く寂しい思いをしていた。アニメがきっかけで日本で暮らしたいと思ったがお金がなかったため、18歳でアメリカ海軍に入隊し整備員として沖縄に配属された。日本へ来られた一方で、異国の地での厳しい仕事に寂しさもあった。沖縄出身の由美さんに出会い、21歳で結婚した。子どもができたことで軍人を辞めて飲食店で働き始めた。街中の一軒家に住んでいたが、子どもが多く肩身の狭い思いをしていた。そこで一家は3年前に宮崎に移住した。
オダギリは、マヨネーズをかけてハムでご飯を食べるのが幸せだと話した。
宮崎北西部の山に暮らすブライアンさん一家を取材。宮崎ののどかな景色がアメリカの田舎町と似ていたことから移住を決意した。移住した年に末っ子が生まれ、8人での大家族生活がスタートした。夫婦は野菜や米を販売して収入を得ている。由美さんは週末に近くの道の駅でサーターアンダギーやタコライスを販売。ブライアンさんは週2で英語教師の仕事をしている。
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- アフロダンビル(アメリカ)宮崎県
熊本県南部の3世帯集落に暮らす97歳のミツエさんに話を聞いた。普段から3キロ歩き、今も現役で米作りをしている。家に上げてもらい、自家製らっきょうの酢漬けやポテトサラダを振る舞ってもらった。