2023年12月28日放送 12:00 - 12:55 テレビ東京

バクタン 時を戻そう!あのヒット商品が生まれるまで
ラーメン天下一品

出演者
シュウペイ(ぺこぱ) 松陰寺太勇(ぺこぱ) 片渕茜 山瀬まみ 原西孝幸(FUJIWARA) 
(バクタン 時を戻そう!あのヒット商品が生まれるまで)
老若男女が大好き!あのトロッとスープ爆誕秘話 天下一品 こってりラーメン

寒い日に食べたくなるのがラーメン。創業から52年の愛され続けるラーメンが天下一品のこってり。濃厚なスープは口当たりがトロトロだが、後味はすっきり。天下一品のこってりスープ誕生の裏には創業者の努力と奇跡があった。ボウリングブームが起きていた1971年。天下一品の創業者となる木村勉は人生のピンチに陥っていた。勤めていた会社が倒産し、36歳で無職となった。当時京都で屋台が多かったということもあり、屋台のラーメン屋を始めたという。板金修理の友人を訪れ屋台を作ってくれるよう依頼。ラーメンの作り方は中国人の知人に教わったという。店の名前は当時から天下一品。メニューは醤油ラーメンのみだった。初日の売り上げは11杯のみ。当時の一般サラリーマン並みの収入を得るには1日100杯の売り上げが必要だった。  

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こってりラーメン天一食品商事天下一品木村勉

お金のない木村のラーメンの研究は客の意見を取り入れるというもの。質店でお金を工面し、資金を用意。先行きが見えない状況が続く中、ある親子から重大な情報を得た。子どもが残したスープから甘みが必要だと考え、野菜の配合の研究をした。研究を続ける中、体調を崩し病院へ。そこで鶏が体にいいといわれ、ラーメンに使うことに。開発から3年9か月がたち、こってりとした口当たりで甘みを感じすっきりしたスープが完成。ところが屋台で作る量には限界があった。出店するには資金の問題があったが、努力をする木村の姿に感銘を受けた常連だった石材店の社長が場所と資金を援助。こうして天下一品の1号店が1975年に誕生。オープン当日200人以上の客が訪れた。優しいこってりしたラーメンは瞬く間に大ヒット。

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超万能お掃除アイテム!発想の転換が生んだ逆転劇

ニトムズのコロコロ誕生秘話について紹介。1975年工業用粘着テープを販売していた日東電工に、ニトムズという子会社が設立。その粘着技術を活かした家庭用向けの製品を作ることに。その大役を任されたのが若手社員3人。月100件に及ぶアイデアから実際に商品化されたのが「ゴキ逮捕」。しかし実際に捕獲することは難しく、ヒットには至らなかった。会社設立から3年ヒット商品が出ない日々。しかし何気なく使ったクラフトテープを掃除道具にするという発想の転換から開発が開始。社内にたまたまあったペンキローラーも参考に製作が進んでいった。

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ここからローラーに粘着テープを施した掃除道具の開発が始まった。70年代後半の日本住宅はカーペットが主流だったため、カーペット用のゴミを取る道具を作ることに。得意だった粘着テープ作りの技術を紙に塗りローラーへセットした。粘着剤が強いとカーペットに貼り付いてしまったり、弱いとゴミが取れなくなってしまった。粘着剤の調整を続けること数ヶ月、粘着剤が完成したが、カーペットの奥のゴミが取れない問題に直面した。すじ塗り加工をすることで克服した。開発から5年がたった1983年粘着カーペットクリーナーが完成した。1983年はたばこが1箱約200円、珈琲が1杯約250円だった中2200円と強気な価格設定だったが売れ行きは絶好調だった。お客様の声を受けて1985年に改名し「コロコロ」がバクタンした。類似品が販売されたが接着剤の配合技術があったため問題なかった。時代とともに進化しテープカットはスカットカットで解決し、マルチに使えるコロコロやテント専用コロコロまで出来た。現在の製品数は180種類以上となっている。

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日本競馬界に革命を!執念が実を結んだ感動物語 JRA初 女性騎手

JRAが発足して約70年。昨今注目を集めているのが女性騎手で、JRAには現在6名の女性騎手が所属している。1913年、岩手県に斉藤澄子が誕生する。3歳から馬に乗り、馬の扱いに長けていた。仕事で訪れた競馬場で騎手に憧れ、調教師に弟子入りし1936年に騎手免許試験に合格した。世界初の女性騎手誕生で一躍話題の人になったが、風紀が乱れると出場を禁止され満19歳以上の男子という規定が設けられ騎手免許を剥奪された。その後29歳で死去した。

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岩手県斉藤澄子日本中央競馬会

のちにJRA初の女性騎手としてデビューする細江純子は、競馬中継で衝撃を受けたという。高校の3年間で行ったのが、ジムでトレーニングや乗馬クラブに行くことなど。競馬学校の入学試験では学科・体力審査・乗馬審査などが行われ、細江は無事に合格して1993年にJRA競馬学校へ入学した。細江が入った12期生は「花の12期」と呼ばれ、福永祐一や2名の女子生徒がいたが、乗馬経験が少なかった細江は失敗を数多く経験した。競馬学校では1983年まで入学募集は男性のみとなっており、初の女性入学者は細江達の1学年上にいた。細江純子は「JRA初の女性騎手誕生を期待され、優しく接してもらえた。特訓では馬場の周りを走ったり、筋トレをしていた。」などと話した。

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JRA競馬学校スーパークリークネズミ日本中央競馬会渋谷(東京)牧原由貴子田村真来

細江さん役の神部さんが「マネージャーに最近どこにも飲みにも遊びにも行っていないと言いながら男と遊んでいた」などと話した。細江さんは「こういうのはなかった」などと話した。教官とともに特訓を行ってきた12期生たちは騎手免許試験では学科・騎乗技術審査など3年間で会得した成果が試される。神部さんが馬の走り方をするとデニス植野さんが「お前が馬やってんねん」と話した。細江さんは「免許に受かった実感はそんなになく、やっていけるの感という方が大きい」などと話した。JRA発足から42年。競馬学校としても悲願の女性騎手の誕生となった。ここでデニス松下さんが一発ギャグを披露しネルソンズの和田さんが「良し、合格だ」と話した。ここでスタジオの原西さんもお祝いギャグを披露した。

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JRA競馬学校

JRA女性騎手誕生まで0日、細江さんは「デビュー前日は緊張していた。返し馬や落下しないようにするなどを考えていた」などと話した。競馬学校卒業からわずか1ヶ月後、3人の姿は競馬場にあった。こうしてJRA発足42年にして1996年3月2日に初の女性騎手が爆誕した。3人共勝利することは出来なかったが、無事にデビューを飾りJRAの新たな歴史を刻んだ。細江さんは5年の現役生活で約6500万円超えの賞金を獲得し女性として初めて海外のレースでも勝利した。更にその後は現在6名の女性騎手が活躍している。細江さんは「皆楽しそうな表情をしていて、G1で勝てる日も近い」などと話した。

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(エンディング)
エンディングトーク

再現VTR出演に関するエンディングトーク。ぺこぱの松陰寺太勇さんが「VTRのコントに出てみては」と聞くと原西さんは「1兆個のギャグが出来るまでやったらやる」と話した。

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