- 出演者
- 名倉潤 ユースケ・サンタマリア 加藤綾子 今井美桜 名取裕子 長嶋一茂 松下由樹 小倉優子 高橋茂雄(サバンナ) 後藤真希 山下葉留花(日向坂46)
高橋はパリのミシュラン二つ星の店で1個のたこ焼きが出されたと話した。松下は上海のコンビニで買った鮭おにぎりのパッケージの絵柄が金魚だったと話した。長嶋は上海に上海蟹が売られている自動販売機があったと話した。
ルワンダの日本食堂では「いくら券き」「あわぴすし」などメニューの日本語が間違っていた。
- キーワード
- ルワンダ
マレーシアでは刺身をラーメンにのせた刺身ラーメンが人気。
- キーワード
- マレーシア
マーシャル諸島ではサッポロ一番が人気。直接袋の中にお湯、ケチャップ、タバスコを入れて食べていた。
ルワンダの店では味噌汁に麺を入れただけの味噌汁ラーメンが作られていた。
- キーワード
- ルワンダ
シンガポールの店では巨大な骨付きチキンをのせたラーメンが作られていた。
- キーワード
- シンガポール
ボツワナには麺に生パスタを使った生パスタラーメンがある。
- キーワード
- ボツワナ
フィリピンの店では麺で具材を挟んだラーメンバーガーが出されていた。タレを絡めた麺を焦げ目がつくまで焼いていた。
- キーワード
- フィリピン
ロサンゼルスの店ではビールの入ったジョッキに箸を置き、その上に日本酒のコップを置いていた。コールとともにテーブルを叩き、日本酒をコップごとビールの中に入れて飲んでいた。
- キーワード
- ロサンゼルス(アメリカ)
フィジーの日本食堂「一休」ではゆっくりとした包丁さばきで巻き寿司を作っていたが高さがバラバラだった。手のひらで上の包丁を切る時、包丁を引いていた。
- キーワード
- 一休
女性が56歳でオープンしたインドの日本食堂を取材。インド南部のベンガルールには世界的ITの企業インフォシスがあった。街は巨大ビルの建設ラッシュで、庶民は裕福になっていた。庶民の楽しみはインド映画。映画のシーンでは、観客も一緒に踊っていた。お金持ち用の最新映画館もあり、週末は1席約4450円。観客は寿司を食べながら映画を観ていた。路上にはスイカ屋さんやココナッツジュース屋さんがいて、コロナ禍から支払いはデジタル通貨になっていた。聞き込みをして日本食堂あずきビストロにたどり着いた。客は天ぷらをワサビ、チリソースにつけて食べていた。チャーシューやカレーが人気。店主の後藤さんはインドに来て30年以上で元看護師。56歳であずきをオープンした。インドにはベジタリアンが多いため、ベジタリアンのメニューも多く揃えている。ベジラーメンは野菜に昆布出汁、麺には豆乳を絡ませている。具材には自家製の厚揚げものせている。スパイシー枝豆やスパイシーサーモンも人気。寿司職人のギャビンさんは、ベンガルールに比べて貧しい北東インド地方から働きに来た。ギャビンさんは農林水産省が外国人日本食料理人の認定試験を受けた。シルバーランクに挑戦し、合格して銀メダルをとった。
スタジオで再現したあずきビストロの 巻き寿司と天ぷらを試食した。
- キーワード
- あずきビストロ
後藤さんはベンガルールの激安シティーマーケットで食材を買った。街では牛が放牧され、交通ルールを守らないバイクの多く細心の注意が必要だった。お店の共同経営者であるダヤさんは、兵庫・豊岡市で3か月和菓子修行をした。最初は年配の職人に相手にされなかったが、毎日あずきを炊いて持っていったら「日本人より真面目だ」と認められ、和菓子作りを教えてもらえたという。お店では手作り味噌教室も開いている。スタッフのトバくんは、毎日店前の床に商売繁盛などの気持ちを込めたコーラムという絵を描いている。後藤さんが暮らすアパートの部屋は、リビングと2つのベッドルームで約5万2000円。3人の女性従業員と一緒に生活している。後藤さんは独身だった。
看護師だった後藤さんは最初に終末期医療に配属された。人の死に向き合う日々の中で、人はどう生きるべきかを考えるようになったという。
- キーワード
- インド
「歳をとったな~」と思う瞬間について。49歳の高橋は、飯がすぐ腹いっぱいになると話した。松下は人混みで人の動きについていけなくなったと話した。名倉はタクシーから降りて柵を跨ごうとしたら引っかかって助けを求めたと話した。
後藤さんは南インドに来る前は看護師をしていた。人の死に向き合う日々の中で人はどう生きるべきか悩んだ末、人の暮らしをたくさん見たいと世界中を旅することになった。インドの孤児院で、貧しさで親に捨てられてしまう子どもたちを知った後藤さんは、子どもたちを支えるためインドに移住。インドのIT企業で働き、給料を子どもたちの生活費に寄付していた。孤児の1人が共同経営者のダヤさんだった。後藤さんの家に住んで学校に通い、すべての費用を出してもらったという。日本人観光客のトラブルをサポートしたら子どもたちも生き延びられると、後藤さんは旅行会社を設立した。ダヤさんはベンガルール大学を首席で卒業し、ともに働くようになった。インド人の日本食需要が増えたため、後藤さんはダヤさんと二人三脚であずきをオープンした。日本食を食べに来た日本好きインド人には、日本の友人から後藤さんに送られてくる和風小物が人気。後藤さんは毎月食料や文房具を届けている。あずきのスタッフも使っていないものを贈っている。あずきの大人気メニューはどら焼きだった。
75歳の女性が一人で営業するフィンランドの日本食堂を取材。フィンランドはサウナ発祥の地で2000年以上の歴史がある。一般の住宅も、湯船の代わりにサウナがあった。腹を割って話せると商談に利用されることもある。最古の都市トゥルクにある「やすこの台所」は、75歳の安子さんが仕込みから買い出し、調理まですべて1人で対応している。料理は日本の食材を使用している。元々料理店の経験はなく、東京で専業主婦をしていた。朝9時に買い出しのため車でスーパーに向かう。フィンランドはコーヒーの1人あたりの消費量が世界一になったことがあるコーヒー大国で、50種類以上のコーヒーが並んでいた。近年は寿司などの日本食が人気。トナカイの肉も売られていた。昼食はフィンランドのソウルフードであるカレリアンピーラッカだった。牛乳で柔らかく煮たお粥を包んだパイ料理。大阪万博の北欧パビリオンでも食べられる。店の営業時間は12~18時で、土曜日は特に多くの客が来店する。これまで5~6回泥棒に入られたという。安子さんは88平米の部屋で1人暮らししており、サウナもついていた。麻布十番で生まれた安子さんは23歳で結婚し、仕事一筋の夫を専業主婦として30年支えた。