- 出演者
- 田中洋行 田代杏子 小山径 森花子 坂下恵理 黒田賢 豊田晴萌 中村瑞季 飯塚洋介
オープニング映像。
今年で戦後80年となる中、沖縄戦における米軍の上陸地の1つの読谷村で、地元の人たちが戦争の悲惨さを伝える碑やガマの跡などを訪ね、平和について考えた。80年前の4月1日、米艦船約1500隻から、18万3000人の兵士が本島に上陸したことや、上陸前の空襲・艦砲射撃で家や畑が破壊されたことなどが伝えられた。
脳梗塞による左半身の麻痺からのリハビリを続ける石垣市の迎里政子さん(68)は、友人の米満晴美さん(60)と共に、石垣島でのイチゴの栽培に挑戦しており、このたび初めての収穫を行った。実をつけるための花粉づけを蜂を使うのではなく、みずから筆を使って行ったということで2人は今後、規模を拡大しいちご狩りのできる観光農園や台湾などへの輸出にもつなげていきたいとしている。
ロケットの発射場がある鹿児島・南種子町の種子島宇宙センターで、大勢の子どもたちが参加して「たこあげ大会」が開かれた。大会では、たこのデザインのほか30分の制限時間の中で上がった高さや時間などが競われ、参加者はロケットや今年の干支のへびなどを描いた思い思いのたこを揚げて楽しんでいた。
佐賀県の地形と姿が似ていることから、ゴジラを観光大使として佐賀の魅力を発信する県の取り組みの一環で、佐賀市の神野小学校では都道府県の形に着目した授業が行われた。この中で子どもたちは、佐賀県をゴジラに見立てて「背中には佐賀市、尻尾には嬉野市がある」などと話し合いながら市や町の位置を学んでいた。また九州の各県の形についても熊本県は横に傾けるとハードルを飛び越えているカピバラに見えるとか、福岡県は逆さにすると猫の幽霊に見えるなどと意見を交わしながら楽しそうに学びを深めていた。
佐賀・江北町で地域の防災意識を高めようと、地震などの災害に備えて、地元の住民が地区を歩きながら危険な場所がないかを点検し防災マップを作る取り組みが行われた。参加者たちは、地区を歩きながら大雨で水があふれて冠水しそうな用水路や、ひびが入り崩れかけたブロック塀など、地震や台風といった災害で避難などの際に危険になる可能性がある場所を点検し、手元の地図に書き込んだり写真を撮ったりしていた。このあと、公民館でどの避難ルートが安全かなどを話し合いながら防災マップの案を作っていた。町によると、防災マップは3月末にも完成する予定で今後もほかの地区で危険な場所がないかを点検し防災マップを作っていくという。
りんごの生産が盛んな青森市浪岡地区では、年末年始からの大雪で今月7日時点で121.4センチの積雪を観測。このため農道が雪で埋まり、りんごの木に近づくのが困難となっている。青森市は浪岡地区のりんご農家でつくる団体からの要請を受け、例年3月に実施の農道の除雪作業を、1か月以上早めて今朝から始めた。作業は大型のロータリー除雪車が行ない、農道に1m以上積もった雪を道路脇に吹き飛ばしていた。市によると、きょうから5日間かけて浪岡地区の3カ所計12.5kmの農道で除雪作業を行う。
六戸町を拠点に活動する国際交流団体が餅つきイベントを開催。県内に住む外国人と日本人の親子が参加した。参加者たちは外国人と日本人の子どもが2人から3人のペアとなって一つの杵を一緒に振りかざして、ヨイショの掛け声とともに餅をついていた。出来上がった餅を一口サイズに切り分け、あんこやきな粉だけでなく、チョコレートやジャムなど合わせて10種類以上の味付けで味わっていた。
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- 六戸町(青森)
県西部の若手神職で作る団体が大寒の日にあわせて毎日みそぎの行事を行っている。浜松市中央区の天竜川の河川敷では、午前6時半頃35人が集まった。神職たちは白いふんどしや白装束、はちまきなどを身に着けて並び、和歌を詠みながら船を漕ぐような動きをする鳥船の神事を行って、体と心を温め、気合を入れながら川に入っていった。水温は6.2度まで下がっていて、神職たちは胸のあたりまで水につかり、一生懸命祝詞を上げて身を清めていた。
「雛のつるし飾りまつり」は東伊豆町の稲取温泉旅館協同組合がきょうからはじめたもので、メイン会場の「雛の館」には約1万8000個の飾りが展示されている。江戸時代後期から地域に伝わるとされ、小さな手作りの人形をつけた糸が吊るされている。人形は幼い子どもをかたどり、健やかな成長を願ったものや、神様の使いとされる「うさぎ」など計34種類ある。このほか、151体の雛人形を飾った17段のひな壇も展示されている。この「雛のつるし飾りまつり」はことし3月末まで東伊豆町の「雛の館」で開かれている。
大洗港-苫小牧港の新フェリーは明日就航予定で、「商船三井さんふらわあ」は今月17日船内を公開した。今の船の一般向け客室は4人部屋のみだが、新たな船は一人部屋や2人部屋を新設したほか、共有設備ではサウナや水風呂を新設したという。また、トラック運転手の働き方改革が課題となる中、長距離輸送に船舶を活用する動きが進んでいることから、新たな船も大型トラックの積載台数を増やしているほか、運転手の個室スペースも整備された。さらに環境への配慮でこの船の燃料はこれまでの重油より二酸化炭素の排出量が少ないLNG(液化天然ガス)を使用している。
梅の名所と知られる水戸市の偕楽園では、約100品種3,000本の梅の木が植えられていて、今月に入ってから早咲きの品種が徐々に咲き始めている。きょうは紅色の花びらが重なって咲く、「八重寒紅」や「冬至」などが花をつけていた。偕楽園公演センターによると、今シーズンは早咲きの品種の咲き始めが例年より2週間ほど遅いという。偕楽園では来月11日から「水戸の梅まつり」が開催予定。
全国の天気予報を伝えた。気温が上がるため落雪などに注意が必要。
レトロな機械音に手動で開ける蛇腹の扉。去年製造から100年を迎えた日本最古の現役エレベーター。活躍の場は京都市の中心部、四条大橋すぐの中華料理店。店は大正時代に造られ建物を前身である中華料理店からエレベーターとともに引き継ぎ、戦後間もない1945年にオープンした。以来この店を訪れるお客さんをテーブルまで送り届けてきた。1924年にアメリカで製造されたこのエレベーターは現在のものとは異なり、運転士が必要な手動式。操作はハンドル1つ。シンプルだからこそスムーズな運転には技術が必要。ハンドル操作を誤ると中途半端な位置で停止してしまう。この店の店長は于修忠さん。エレベーターは店の創始者である于さんの祖父から建物とともに大切に受け継がれてきた。いまでこそ店の象徴となっているこのエレベーターだが、于さんが働き始めた90年代はその存在は広く知られておらず、安全面やコストにおける維持管理の大変さから撤去の話も出ていたという。それでもこん日までこのエレベーターを残してきたのは、伝統を大切にする京都で営業をしてきたことも理由の1つだという。古いものだからこそ月2回のメンテナンスが欠かせない。エレベーターの見た目や装飾は大正時代からほとんど変わっていないが、安全を確保するためワイヤーやモーターは新しいものに交換されている。この日、店には古くからの常連さんが多く訪れていた。50年以上通っている人も多いという。100年にわたり大切に使われてきたエレベーター。時代を超えて動き続けるその姿は、次の100年へと私たちを運んでいく。なお、この店では建物やエレベーターの見学のみは受け付けていない。
昭和54年1月20日、奈良市で古事記をまとめたとされる太安萬侶の墓が発見された。農家の人たちが茶畑を掘り起こしていたところ、地面に開いた穴から木の棺が見つかり、中から人骨と墓誌が見つかったという。墓誌には『太朝臣安萬梠』とはっきりと彫られており、さらに西暦でいうと723年7月に亡くなり12月に埋葬されたと記されている。これほどはっきりと分かる墓誌の出土は珍しく、古代史に新たな光を投げかけた貴重な発見だった。
平成24年1月20日、北海道網走市で船の上から流氷を楽しめる流氷観光船「おーろら」の運航が始まった。網走港を出港した第1便には、観光客など95人が乗船し、およそ20分後に波間に漂う流氷が見え、流氷が広がるオホーツク海の雄大な景色を見渡していた。船が氷を砕いて進む衝撃や音も魅力のひとつだ。
平成27年1月20日、群馬県長野原町にある川原湯温泉の伝統行事『湯かけ祭り』が、八ッ場ダムの建設に伴って移転した、新しい共同浴場で初めて行われた。祭りは約400年前、温泉のお湯が出なくなった際にニワトリを奉納したところ、再びお湯が沸き出し湯をかけ合って喜んだのがはじまりとされている。神事の後、紅白に分かれた下帯姿の住民およそ50人が桶を持って集まり、「お祝いだ!お祝いだ!」と叫びながらお湯をかけ合った。最後に吊るされた紅白のくす玉をめがけてお湯をかけ、飛び出したニワトリを捕まえて祭壇に奉納し、祭りは無事に終了した。場所が変わっても、祭りにかける住民たちの思いは変わらなかった。
小山アナウンサーらは「湯が沸いたときの当時に住んでいた方々の喜びが蘇ってくる」などとトークをした。映像はNHKアーカイブスのホームページからも見ることができる。
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- NHKアーカイブスホームページ
埼玉・草加市。こちらの公園で行われていたのは紙芝居で、胃腸が弱くどこかイケていない「サッパリダーマン」がこってり星人と戦い草加の平和を守るというお話が行われていた。闇芝居屋のbenbenさんは、草加市在住で毎週末地元の公園を回って子どもたちの人気者になっている。奇想天外のストーリーの裏側には、子供たちへのメッセージが込められているという。「ヒーローだから強くなきゃいけないとかカッコよくなきゃいけないとか、そういう事じゃなくて決まったことにとらわれず色々な発想をしていいんだよ。そういう事を子どもたちに感じてほしい」と話している。多くの子育て世代が暮らした草加市は、ここ数年再び若い世代が移り住むようになった。子どもたちの成長を見守ってきたのが冒険松原あそび場、廃材が置かれていていつでも自分の好きな物を作ることができる。この日は焚き火をしてピザを焼いていた子、シーソーを作っていた子どもたちに遭遇。ボランティアの「シン」こと角田シンアンジェロさんは18歳の専門学校生で、毎週末子どもたちを支えているという。シンさんは中学生の頃に不登校を経験し、当時からこの公園が居場所だったという。