- 出演者
- 田代杏子 一柳亜矢子 坂下恵理
兵庫・神戸の映像を背景に、気象情報を伝えた。
- キーワード
- 神戸(兵庫)
阪神・淡路大震災発生から30年。「追悼のつどい」が行われている神戸市の東遊園地の様子を伝えた。約4000本の灯籠が並べられ、東日本大震災や能登半島地震の被災地にも寄り添う思いが込められている。
阪神・淡路大震災発生から30年。神戸市中央区・東遊園地での「追悼のつどい」には1万1000人以上が訪れた。追悼のつどいの様子を伝えた。
阪神・淡路大震災発生から30年。神戸市長田区でパン販売店を営む國本善之さんは、震災による火災で店は全焼したが、逃げてきた人たちにパンを配って励ましていた。震災4年後に店を再建したという。
阪神・淡路大震災発生から30年。JR神戸線で車掌として乗務した渡辺美公子さんは1995年1月17日大分生まれで、8年前JR西日本に入社し、六甲道駅に配属された。震災当時に駅舎が倒壊した六甲道駅で働きながら、地域の人たちとのつながりの中で鉄道が復興したことを学んだという。
8人の児童が亡くなった兵庫・芦屋市の精道小学校では、遺族なども参加して追悼式が開かれた。児童たちは、折り紙で作った手作りの花を慰霊碑の前に供えた。
兵庫県などが主催する阪神・淡路大震災30年追悼式典で、天皇陛下は皇后さまと共に式典に臨み、黙祷を捧げたあと、お言葉を述べられた。献唱曲として、「しあわせ運べるように」が歌われた。
東充さんは、震災当時写真が撮影された場所に出向き、同じ構図でいまの様子を写真で記録しており、撮影された場所は1000地点に上る。火事で焼けた商店街や商業施設を再建させた地区、区画整理を進めて広場を設けるなど災害に備えたまちづくりを進めた地区など、そこに暮らす人たちが町を立て直そうと必死に取り組んできたことを写真を見比べて感じてほしいという。東さんは神戸市の委託を受けて、「神戸アーカイブ写真館」の代表を務めている。市などが収集した写真をデジタル化して公開する作業を行いながら、新たな写真の撮影も進めてきたという。震災当時、東さんは、長田区にあった市場で漬物店を営んでいた。地震で店は倒壊し、自宅は全焼したという。東さんは、撮影した写真を冊子にして神戸アーカイブ写真館で公開する他、講演会なども行なってきた。神戸市が市内に新たに歴史公文書館を設置するのに伴い、施設は閉館することになり、先月その歴史に幕を閉じた。東さんは自身が整理してきた写真などの資料が受け継がれ、新たな形で活用されることに期待している。
東さんによると、これまで施設で公開されていた写真のデータや冊子などの資料は、来年2026年に開館予定の神戸市の「歴史公文書館」で閲覧できるようになるという。このあと2時台は、震災で今も行方不明の母を持つ女性について伝える。
阪神・淡路大震災から30年。神戸市で開かれた追悼行事に能登半島地震で被災した穴水町の職員も参加、犠牲者を悼んだ。神戸市中央区で開かれた追悼の集いに参加した穴水町役場職員互助会のメンバー3人。会場の東遊園地に灯され続けている「希望の灯り」からろうそくに分けられた火を竹灯籠にともし、手を合わせた。穴水町職員の追悼の集いへの参加は新型コロナなどの影響で2020年が最後となっていたが、去年の能登半島地震で神戸市から受けた職員の派遣や義援金の支援に感謝の気持ちを伝えようと、5年ぶりの参加となった。
能登半島地震の被災地、七尾市でも地震発生時刻に合わせて黙とうが行われた。七尾市にある御祓地区コミュニティセンターでは去年4月まで全国各地から炊き出しなどの支援を受けながら能登半島地震の避難所として多くの住民を受け入れてきた。施設の前には大きな地震に見舞われた能登、熊本、阪神淡路の被害に思いを寄せようと熊本県のボランティア団体が市内の子どもたちと制作した竹あかりが設けられている。
阪神・淡路大震災から30年。東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市では神戸市から復興を願って分けられた「希望の灯り」のもとに地元の住民などが集まり犠牲者を悼んだ。箱根山には阪神淡路大震災を機に神戸市に設置された「1.17希望の灯り」から東日本大震災が起きた年に復興を願って分けられた火が「3.11希望の灯り」として常にともされている。
阪神・淡路大震災から30年。鹿児島市で開かれた福祉に関する研修会では震災当時現地に派遣された県社会福祉協議会の職員を含めた参加者全員が黙とうを行った。研修会は県社会福祉協議会が開き、県内の自治体などの職員約40人が参加。阪神・淡路大震災の被災地に派遣されてボランティアに関する業務を行った県社会福祉協議会地域福祉部・古市智子部長の呼びかけで黙とうが行われ、「阪神・淡路大震災の経験と教訓を忘れず、いまあるつながり、これからのつながりを大切にすることを真剣に続けたい」と述べた。県社会福祉協議会は阪神淡路大震災のあとも東日本大震災や去年の能登半島地震などが起きた際には現地に職員を派遣し、ボランティアの受け入れ業務などにあたっている。
阪神淡路大震災から30年。南九州市の頴娃小学校で地震と津波を想定した避難訓練が行われた。訓練のあとには地元の消防職員が地震に対する備えとして避難するときはブロック塀などが倒れてこないか注意することや、「どこに避難するかを事前に家族と話し合っておいてほしい」と呼びかけた。
阪神・淡路大震災の発生から30年となるきょう、高知市中心部の下知地区の公園には、犠牲者を追悼しようと明け方から地区の住民約20人が集まった。そして竹の灯籠を並べてろうそくの火をともし、暗闇の中で「1.17」の日付を浮かび上がらせた。地震が発生した午前5時46分には全員が灯籠の周りに集まり、静かに黙とうをささげた。その後、震災当時兵庫・宝塚市で被災した自主防災組織・皆本隆章会長が「ゴーという大きな音で目が覚めた。大きな揺れで家の中もめちゃくちゃで歩ける状態ではなかった」などと自身の体験を話した。そのうえで「地震などの災害が相次ぐ中、地域の絆を大切にして、南海トラフ巨大地震に備えていきたい」と述べ、防災への思いを新たにしていた。今後30年以内に80%程度の確率で発生するとされる南海トラフ巨大地震では、この地区は津波による長期間の浸水被害が想定されている。
阪神淡路大震災の発生から30年。香南市赤岡町にある南国警察署の香南警察庁舎は、南海トラフ巨大地震で津波が押し寄せ、2階部分までの浸水被害が想定されている。このため警察署では、浸水想定区域の外にある香南市消防本部に警察の機能を一時移転させる協定を結んでいて、きょうは警察官や消防隊員20人余りが参加して、初動の対応訓練が行われた。訓練は南海トラフ巨大地震が発生し、震度6強の揺れを観測したという想定で行われ、揺れが収まったあと警察官たちは災害対応に使用する無線機などの資機材を箱に入れて車両に積み込み、約600メートル離れた消防本部に移動した。消防本部に到着すると、管内にある駐在所の署員と連絡を取り合い、被害情報を収集するなどの災害対応に当たっていた。また、消防本部では消防隊員がドローンを飛行させ、上空から被害の状況を確認するなど、南海トラフ巨大地震を想定した初動の対応を確認していた。
県中央植物園に展示されているのは、神戸市のらんの愛好家から寄贈されたカトレア。中南米原産のカトレアは本来、暖かな環境で育つが、このカトレアは阪神・淡路大震災で電気が寸断され暖房などが使えない厳しい寒さの中を生き抜いた株から育てられた。阪神・淡路大震災の発生から30年となるのにあわせて能登半島地震の被災地を励まそうと復興に向けた「希望のカトレア」として1月に寄贈された。昨年の夏から秋にかけて暑さが長引いた影響もあり、まだ花は咲いていないが、長さ5センチほどの「さや」の中には2、3輪の花が開花の時を待っているという。このカトレアは1月20日ごろまで展示されたあと、2月中旬ごろの開花にあわせて再び展示を行う予定だという。
松山市にある四国霊場八十八か所の一つ・石手寺では、阪神淡路大震災の翌年から毎年、犠牲者を悼み法要を営んでいる。きょうは、参列した被災者や当時ボランティアとして活動した人など約20人が本堂に設けられた祭壇の前で手を合わせたあと焼香した。地震で兵庫・西宮市の自宅が倒壊し家族と八幡浜市に移住した森口政尾夫さんは毎年、法要に参加している。境内ではきのうから、大震災からの復興を願って被災地で灯されている「希望の灯り」から分けられた火で、日付の1.17に並べられたろうそく約30本が灯されている。
中央構造線断層帯は近畿から四国を横断して九州までのびる長大な断層帯で、九には10の区間に分けて今後30年以内に地震が発生する確率を4段階で評価している。今年1月1日時点の評価が公表され、愛媛県にある長さ約40キロの石鎚山脈北縁西部の区間が最も地震の発生確率が高い「Sランク」と評価されている。この区間の地震の切迫度は阪神淡路大震災の発生前を上回っていて、想定されるマグニチュードは7.5程度とされている。県の被害想定によると、中央構造線断層帯で地震が起きた場合、震度7が新居浜市、西条市、四国中央市、伊方町で想定され、松山市でも震度6強が想定されている。地震調査委員会・平田直委員長は「活断層は過去に大きな地震があった動かぬ証拠なので、備えを進めてもらいたい」と話している。