2024年4月6日放送 22:15 - 22:45 テレビ東京

新美の巨人たち
【春のアート旅(1) 浜離宮恩賜庭園×山崎怜奈】

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(オープニング)
今回は…

今回は浜離宮恩賜庭園を特集。

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浜離宮恩賜庭園
オープニング

オープニング映像。

新美の巨人たち
浜離宮恩賜庭園の春 徳川将軍家の庭

浜離宮恩賜庭園には大手門があり渡櫓があり、江戸城の根城としての機能ももっている。敷地は75000坪ほどで東京ドームの5.5倍の広さ。徳川将軍家唯一の別邸で徳川将軍家15人の中でもこの庭園をこよなく愛したのは3人の将軍。広大な庭園には大泉水を中心に周囲園路を巡り、回遊式庭園になっている。作ったのは徳川6代将軍の徳川家宣。今から400年前の江戸の寛永期でこの場所は遠浅の海だった。そこを将軍家の別邸として大改造し大手門や橋、池をつくり、御殿をおいた。家宣が庭園を改修した際に植えたと伝わる松の巨木は、低く張り出した太い幹の強さやたくましさがあり三百年の松と言われている。八千坪の大泉水は、海の水を引き込む潮入の池で2箇所に水門を設けている。潮の干満にあわせて2つの水門を開閉し、海水を引き込むことで池の水位を調整している。

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潮入の池は江戸の大発明で、水門を開いて2時間ほどで塩の満ち引きがみせる岩の表情の豊かさや美しさがあり、クラゲやクロダイなどの海の生きもの生息している。庭石の配置も潮入の池ならではの工夫があり、穴が多くザラザラしている黒木石と言うろう岩石を使用し、海の波にえぐられたような石を池のほとりなどに配することで荒々しい磯の景観をつくりあげている。濱御殿と言われるようになったこの地を家宣は休息の場などにした。お伝い橋という橋は120mの総檜造りで、そこを渡ると池に浮かぶ中島の御茶屋がある。専門家はここは船に楽団を乗せ演奏させたりするなどし、客人をもてなしていたという。

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もてなしの庭、癒やしの庭だった濱御殿を大きく変えたのは徳川吉宗。庭園には馬場跡があり、吉宗はオランダ人馬術化を招いてここで西洋騎馬術を上覧。殖産興業の実験として使い質素倹約をモットーにしていた吉宗ならではの取り組みだった。また吉宗の象がみたいの一言で、ベトナムからやってきた象はここで10年飼育されていたという。そして11代将軍の徳川家斉は濱御殿に歴代の将軍の中で最も足繁く庭に通っていた。濱御殿を最も楽しみ尽くした将軍で庭には小覗きがあったが、鷹狩を楽しむ鴨場だったという。元溜と言われる岸辺に引き堀という細い水路を作って鴨をおびき寄せる施設。家斉は大好きな鷹狩をするために濱御殿に新たに2つの鴨場を作った。

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浜離宮恩賜庭園には家斉が通っていた鴨場がある。大覗きから元溜まりに鴨が来ているかを確認すると鷹狩を開始。大覗きから小覗きへ木槌で板を鳴らすと音に反応したアヒルが小覗きまで続く引き堀に餌によって呼び寄せられそれにつられ鴨がやってくる。引き堀の横で待機していた鷹匠が驚かし鴨が飛び立ったところを鷹が捉えるという仕組み。家斉が建てた2つのお茶屋。松の御茶屋は瓦葺屋根で復元されたものだが当時の技法で再現されている。壁は和紙を貼った貼り付け壁という伝統技法で、その壁に切り取られた月夜の景色は艶は漆を塗って木炭で削ぐ作業を行う呂色仕上げをしている。長押にはセミが止まっているがこれは釘隠し。窓辺の欄間には浜千鳥の透かしが。水面に空の光を受けると浜千鳥が飛んでいるようにひらひら動いて見える。燕の御茶屋は燕が24箇所についているという。これも釘隠しで、将軍が調度品を鑑賞したり、食事を取った場所。そのために将軍しかあがれない上段の間がある。家斉が最も気に入っていた小高い月山は北に江戸城、西に富士山、南に房総半島の見晴らしがあった。明治になるとこの庭は天皇家のものになった。大正では関東大震災が発生し昭和には東京大空襲に見舞われた。その後は東京都に下賜されて人々の憩いの場に。

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浜離宮恩賜庭園に山崎はいろいろな表情があったがどういう意味があるのか?と思いながら見ていると違った見方ができたと答えた。

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(エンディング)
次回予告

新美の巨人たちの次回予告。

(番組宣伝)
スポーツ リアライブ

スポーツ リアライブの番組宣伝。

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