- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
ドムドムハンバーガーは日本最古のハンバーガーチェーン。1970年に開業した。マクドナルドやモスバーガーより数年早い。生みの親はダイエーの創業者の中内㓛氏。最盛期には全国に400店舗以上あったがその後業績が低迷し、一時は27店舗まで減少し絶滅危惧種ハンバーガーチェーンとまで言われた。しかしそんなドムドムが若い人たちに人気が回復。ジリ貧だった売上も2021年に上昇に転じ、4年連続で前年を上回る。その原動力は客を面白がらせる個性派バーガー。脱皮したてで皮の柔らかいソフトシェルクラブというカニをそのまま衣をつけて油の中へ。ほどよく上がったカニをそのままバンズに乗せて甘酸っぱいソースをかけた丸ごと!!カニバーガーは身はもちろん、味噌やからの風味など丸ごと味わえる。1290円と、強気な値段にもかかわらず見た目のインパクトと意外な美味しさが客の心をつかみ瞬く間にSNSでバズった。こうした世間をあっと言わせるようなメニューがドムドムバーガーを黒字回復させた。ドムドムバーガーの東京オフィスは浅草にある。中へ入るとこじんまりとしたオフィスに常駐しているのはわずか6人。黒字回復の立役者がドムドムフードサービス社長の藤崎忍。
藤崎はもともと専業主婦だったが38歳で初めて働きに出た。その職場が渋谷109のアパレルショップ。その後51歳でドムドムハンバーガーに入社しわずか9ヶ月で社長に。ドムドムは毎月必ず新作の個性はバーガーを販売。その開発の基準は何よりも美味しいこと。藤崎はやってみればいいじゃんの一言を述べるがこれがドムドム再生のキーワード。新商品の試食会は3回ほどあり参加するのは社長の藤崎と商品開発担当の浅田。浅田は、ドムドムの商品開発の要。この日は春菊を使ったインパクト抜群のハンバーガーの試食会をしたがこのハンバーガーに浅田は4ヶ月の開発期間を要したが一株分の春菊をバーガーに。春菊かき揚げバーガーに藤崎は商品化するという。春菊かき揚げバーガーは1月24日から発売。次に浅田が提案するのは磯辺揚げにしたちくわをちくわの磯辺揚げ 3種類のバーガーシリーズは磯辺揚げだけで3種類のハンバーガーを楽しめる。明太子たポテトサラダ、カレーなどを組み合わせた商品が楽しめる。藤崎も満足の行く味となった。こうして商品化していくバーガーは50を超える。
今日は雪国まいたけとの打ち合わせを行っていたドムドムフードサービス。雪国まいたけはまいたけ国産生産量のシェア50%以上を占めるトップメーカー。コラボバーガーが運ばれてきたが、200gの舞茸をそのまま素揚げしバンズにのせてテリヤキソースをかけてコラボした今夜はまいたけバーガー。コラボの相手は食品メーカーだけでない。銀座スイスはカツカレーの発祥の店とも言われていてひき肉をべースに多くの野菜をともに煮込んだ伝統のカレーソース。千葉さんのカツレツカレーは銀座を代表する味。その名店とドムドムがコラボしたのはカツカレーバーガー。カレーソースは銀座スイスのものを使用している。ドムドム銀座店限定のメニュー。また店舗数が少ないドムドムだがそれ故に認知度も低い。そこでメインキャラのどむぞうくんの力を借りることに。キャラクターグッズで若い層の認知度を上げようという作戦でTシャツやタオルなど様々なグッズを展開している。静岡県浜松市でドムドムグッズのイベントが開かれている。全国に29店舗しかないドムドムはグッズ展開で認知度をあげようと期間限定のポップアップショップを各地で開催。店舗が少ない分グッズでファンを掴むのが狙い。グッズ展開を打ち出したのは藤崎だったがやってみればいいじゃんの精神でスタッフが毎月のように新作を提案しそのグッズの数は1000以上。会社の売上の7%を超えるまでに。
小池はドムドムハンバーガーのバーガーに美味しいと味を絶賛した。藤崎は個性はバーガー開発のきっかけにはコンセプトの中に美味しいのはお客との最低限のお約束ということがあり、美味しいの上を行く商品を考えているうちにそうなっていったという。また自身が入社したときはもっと大人数で商品開発を行っていたがそうなっては今のような大胆なハンバーガーは生まれず角がなくなるので開発部は少数精鋭にしたという。またメニューを増やす理由に藤崎はそれがお客との信頼関係をつなぐもので毎月の新作を待っているお客がいると答えた。そしてスタジオには実際に販売されているドムドムハンバーガーのオリジナルグッズが登場。その売上は好調だという。また皆が気軽にチャレンジできる環境を作るのが社長の自分の役目だと語ったがそのやってみれば?が皆のやる気につながっているという。
去年の暮れに藤崎の自宅には社員たちが集まっていた。社長の自宅で忘年会を行っていて、皆遠慮せずに料理と酒を楽しんでいる。その料理を作っているのは藤崎本人だが気さくさで人を惹きつけている。藤崎はドムドムに入る前は実際には料理屋の女将だった。藤崎は短大卒業後に21歳で結婚し23歳で母となり専業主婦を続けていたが、39歳の時に夫が病に倒れた。家計を支えるために専業主婦だった藤崎は、初めて社会に出て働くことに。その人生初の就職先にいたのはギャルだった。
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藤崎は21歳で結婚し23歳で母となり専業主婦を続けていたが、39歳の時に夫が病に倒れた。家計を支えるために専業主婦だった藤崎は、初めて社会に出て働くことに。その人生初の就職先は渋谷109のアパレルショップ。藤崎はギャル全盛期の2005年にギャルファッションのショップで店長として働き始めたがほとんどのスタッフは10代のギャルだった。次に選んだ現場はサラリーマンが集う新橋。ニュー新橋ビルはおよそ300店が軒を連ね、藤崎が向かった場所はそらきという看板が。44歳で居酒屋をオープンし女将に。今も人気店でなかなか予約が取れないほど。店を仕切っている女性は、109時代に一緒に働いていた仲間。この店の人気メニューは厚焼きたまごだが藤崎が考案したものでそのレシピは手作り厚焼きたまごバーガー。2017年5月に常連客で企業再生を手がける役員が藤崎にドムドムハンバーガーのメニュー開発をしてくれないかと声をかけてきた。藤崎は非常勤でドムドムフードサービスに入社。するとその働きが評価され、すぐに正社員。スーパーバイザーとして各地の店舗を飛び回り、幹部社員になり経営会議も出席。その会議で藤崎が感じたのは具体的な話をするべき、親会社は企業再生をするために運営をしている会社なので再生しようという意気込みがすごいが、しかし会社がどこに向かっているのか?ドムドムがどうなったらいいか?などそういうものは見えて来なかったという。
そこで藤崎は親会社の役員に電話をかけて日頃思っていることを口にした。もっと意見を言える立場にしてほしいと述べ続けた。ある日親会社から呼び出され、ドムドムフードサービスの取締役になってほしいと言われ社長に。入社9ヶ月目にして社長に就任し親会社はドムドムハンバーガーを藤崎に託した。藤崎は渋谷109や新橋の料理店での経験が全てドムドムに生きているのか?と、聞かれお客目線でこだわらない心、チャレンジングな気持ちは生かされたという。そして突然社長になってしまった藤崎だが親会社に意見をし、取締役になってほしいと言われたときは嬉しかったがまさか社長になるとは思わず、椅子から転げ落ちるほどびっくりしたという。また飲食チェーンは店舗数の多さが成功と言われるが藤崎はチェーン店の店舗数の目標値などはお客に関係ない数字で、お客に還元するものが多くなり原価率が低くなり商品は安くなるが自分はお客にとってのオンリーワンの店舗になりたいと語った。
今年元日に10頭のゾウたちが新年初めての客を出迎えたのは千葉県にある市原ぞうの国。ゾウつながりなのか、ゾウがシンボルキャラクターのドムドムハンバーガーが4年前に出店した。元日にもかかわらず、お昼時には行列ができるほど人気。お客は皆ドムドムのトートバッグを持っている。バッグの正体はドムドムのグッズが入った福袋。お値段は3000円。これはお得でトートバッグ、どむぞう印のマグカッブ、さらにドムドムで使える食事券が3000円分入っているので元がとれてしまう。ぞうの国の店舗では味噌ピーチキンバーガーという千葉名産のみそピーナッツをたっぷり挟んだ御当地限定バーガーを販売。その園長もドムドムができたことで来園者が増えたことを実感している。ドムドムはその地にちなんだハンバーガーで地域を元気にしようと考えている。そんなドムドムの力を借りたいと手を上げた施設が東京・稲城市に。現在その建設中のその施設で中心となるのは野球場。
ドムドムの力を借りたいと手を上げた施設が東京・稲城市に。今春オープン予定のジャイアンツタウンスタジアムは2軍のホームグラウンドだがライブイベントなどの開催で年間30万人の集客を目標に様々な策を講じている。今や野球場は話題の飲食店を呼び込むことが観客増員につながると球団や施設はテナント誘致に力をいれる。ジャイアンツタウンスタジアムではテナントを2店舗置く予定で、ドムドムハンバーガーが決まっているが爆発的な企画力に頼りたいとの声があった。店舗は2階のコンコースにあるスペースがあり、テナントは2つしか入らないためにドムドムはハンバーガーだけでなく様々なメニューで客のニーズに応える考え。中でも目玉となるのはG×DOMDOM ご当地限定バーガー。厚焼たまごバーガーはこの地でしか味わえない。球場と店舗は3月オープン予定。藤崎はご当地バーガーを始めたきっかけには地域と密着に関係しその地域となにかでいればいいなというところから始まったという。
村上は今日の総括に「わらしべ長者」に似ている。藁一本でアブを捕らえ、赤んぼうにあげると、母親がミカンをくれる、大長者になる。2005年、39歳で、夫が倒れ、渋谷109で働く。109でいっしょに働いた女性と、44歳で新橋に居酒屋を出す。常連客が経営陣を譲り受けた会社の専務「商品開発を手伝って欲しい」正式に入社してスーパーバイザーを務めたが、現場の声に耳を傾けず、コミュニケーションが不足した会社は危ない。親会社に直談判すると「社長」に。現場の提案を「いいんじゃない」と全肯定して鼓舞する。わらしべ長者も、明るかった。とした。
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- SHIBUYA109渋谷店新橋(東京)
カンブリア宮殿の次回予告。