- 出演者
- 田代杏子 千野秀和 小松宏司 兼清麻美 坂下恵理 平塚柚希 福田裕大 河畑達子 中村瑞季
オープニングの挨拶。
高知市の動物園「わんぱーくこうちアニマルランド」で先月生まれたジャガーの双子の赤ちゃんがあすから一般公開されるのを前にきょう報道陣にお披露目された。ジャガーは主に南アメリカに生息しIUCN(国際自然保護連合)から準絶滅危惧種に指定されていて国内ではこの2頭を含めて25頭が飼育されている。園では一般公開に合わせて赤ちゃんの名前を募集し事前に用意した3つの候補から来園者の投票で決めることにしていて来月30日に発表される予定。
国際交流の一環で南米の野球の指導者たちが高知県を訪れ高知ファイティングドッグスのコーチから指導方法を学んでいる。この野球指導はJICA(国際協力機構)の研修の一環で行われきょう、高知市の総合運動場にはブラジルやボリビア、パラグアイの野球の指導者6人が集まった。研修生たちは四国アイランドリーグplusに所属する高知ファイティングドッグス・相原雅也投手コーチから指導を受けた。このあと研修生たちは実際にキャッチボールをしながら教わったポイントを実践していた。南米のスポーツはサッカーが盛んだが、日本から移住した人たちが野球を持ち込み今は娯楽の一つとして親しまれている。
青森・弘前市の津軽藩ねぷた村の敷地内にある揚亀園ではカルガモが子育てを行っている。建物に囲まれて外敵となる猫などが侵入しづらいことから約40年前からカルガモが子育てを行ってきた。今年は計11羽のヒナが誕生し、石垣の苔をついばむなどして育っている。庭園では2ヶ月ほど過ごし、羽ばたけるようになるとここを巣立っていく見込みとなっている。
串間市の都井岬では地元のまちおこしグループが植えたアジサイが見ごろを迎え、色とりどりの花を咲かせている。天然記念物である野生の岬馬も過ごす中、穏やかな風景が広がっている。都井岬のアジサイは来月上旬に満開となり、中旬まで見頃が続く見込みという。
医師の時間外労働に上限が適用されて地域医療に影響が出る医療の2024年問題を巡り、つくば市は医療相談アプリを活用して医師の負担軽減に取り組んでいる。つくば市内のベンチャー企業が筑波大学附属病院の小児科医と連携して行っているもので、15歳位以下の子どもを持つ保護者に向けてスマホアプリからチャットやビデオ通話で医師への相談や診療を受けられるようにするもので、不必要な救急搬送を減らすことも期待されている。つくば市は国からスーパーサイエンスシティ構想として指定を受ける中、今年3月中旬までの実証実験が行われたがその後も継続して事業を続ける形となっている。岩淵敦医師は不調の人を病院に連れて行くこと自体も負担になるので、動かさないで治療をさせてあげたい、医師にとって負担になることもあり得るのでオンラインで解決できるのであれば負担は軽くなるとコメント。
水戸市の常澄中学校は危険な通学路の白線が薄くなっていることや、新たな信号機を設置する陳情書を提出し、教育行政担当の委員会は全会一致で採択し、次の市議会で採決される予定となっている。水戸市の高橋靖市長は氏としても安全対策を進める考えを示している。高橋市長は行動が結果として帰ってきた時の達成感は一生忘れられない、将来の地域リーダーになることにつながると言及して歓迎している。水戸市議会は来月3~18日の日程で行われる。
福井市はメルカリと提携して家庭の粗大ごみのうちまだ使えるものをフリマアプリで販売する取り組みを行っている。商品は配送されず、市内の収集資源センターに取りに行く形となっていて、売り上げは資源回収を進める取り組みの費用にする計画で北陸3県では初の試みとなっている。福井市には粗大ごみの申込みが年に3万件ほどあるといい、今後も出品数を増やしていくという。
越前市を中心に生産されているブランドトマト「紅しきぶ」の収穫が始まった。「紅しきぶ」は越前市にゆかりがある紫式部の名前を付けたトマトで甘みと酸味のバランスがよくとろけるような食感が特徴でJA越前たけふが2002年からブランド化に取り組んでいる。現在は越前市と鯖江市の合わせて9つの農家が生産していてことしも収穫が始まった。JA越前たけふによるとことしは3月に気温が低い日が続いたことから収穫が1週間ほど遅れたものの味のよいトマトに育っているという。「紅しきぶ」は来月中旬から下旬にかけて収穫のピークを迎えおよそ38トンを出荷する予定。早ければ来月1日から越前市や福井市などのスーパーで販売が始まる。
能登半島地震で被害を受けた石川県の珠洲焼の作家たちが、この春から備前市内で備前焼の技術を学びながら珠洲焼の再興を目指し活動を始めている。備前焼作家の指導を受けながら技術を学んでいるのは石川県の伝統工芸品「珠洲焼」の作家・有賀純一さんや作家を目指す研修生の達美也子さんら3人。備前焼と珠洲焼は同じ釉薬を使わない焼き物として交流を続けていて、去年秋の備前焼まつりでは珠洲焼の器を販売するブースも設けられた。こうしたつながりから3人は備前焼作家たちの後押しを受け、今年3月から4月にかけて市営住宅に移り住み作陶に励んでいる。有賀さんは珠洲焼の粘土を使って備前焼の窯で作品を焼き上げるなど精力的に活動を始めている。
県内有数のお茶の産地・美作市で、地元の小学生が茶摘みを体験し製茶工場を見学して地域の魅力に触れた。子どもたちは体験した成果を壁新聞にまとめて発表し、他の学年の児童に様々な味のお茶をいれて飲んでもらうお茶まつりを計画している。
秋田・横手市で毎月開かれている認知症カフェ。認知症の当事者やその家族たちが訪れ、交流の場となっている。そのカフェのスタッフとして活動している神原繁行さんも認知症の当事者。神原さんが異変を感じたのは5年ほど前。横手市の病院で看護師を取りまとめる看護部長を務めていた時のことだった。会議の時間を忘れたり物忘れが激しくなったりと1人では仕事に支障をきたすこともあったという。違和感を受け、一昨年の秋病院で検査したところ若年性認知症と診断された。看護部長を退いた神原さんは今、作業療法士の補佐として患者をサポートしている。作業の内容を忘れてしまうこともあり、そのため職場の同僚は神原さんに口頭で伝えた上でメモにも残すようにしているという。混乱しないようお願い事も一つに絞るなど、認知症の症状を踏まえつつ神原さんが働きやすい環境を整えていった。そんな神原さんは今年1月、認知症の理解を深めるため当事者みずからが発信するオレンジ大使に選ばれた。2月にはオレンジ大使として認知症の支援に関わる自治体の職員などに講演することになった。神原さんは自身の経験を通して周囲の理解や気づきが当事者を救うと訴えた。周囲の理解が進めば認知症になってもできることはいくらでもある。当事者としてそして医療従事者として神原さんは多くの人に伝えていきたいと考えている。
昭和36年5月29日、東北地方を台風並みの低気圧が通過乾燥した強風が山から吹き下りるフェーン現象が起き八戸など三陸各地で火災が発生した。特に被害が大きかったのは青森県の八戸だった。市内白銀町から出火した火は強い風にあおられ旧国鉄八戸線に沿って細長く伸びた商店街にあっという間に燃え広がった。出動した陸上自衛隊が建物を壊して延焼を食い止め火はようやく下火となった。翌朝、猛威を振るった火災は鎮火したが、八戸市だけで700棟以上が全焼した。この大火を教訓に市町村が協力して消防活動を行えるよう地域をまたいだ消防団が結成されるなど広域消防への取り組みが広がった。
昭和40年5月29日、横須賀開港100周年を祝う式典がこの日完成したばかりの横須賀市文化会館で行われた。横須賀港は幕末、フランス人技師・ヴェルニーの指導でこの地に製鉄所が造られたのが始まり。明治時代に入ると海軍の造船所となり軍関係の施設が次々と造られ、東洋一と呼ばれる軍港となった。開港100周年を記念して製鉄所の建設を指導した技師ヴェルニーの母国、フランスの艦船が横須賀を訪問。ふ頭で人々の出迎えを受けた。戦後、横須賀港は米国第7艦隊の基地に変貌。海上自衛隊の基地も置かれ戦略上重要な港となった。変転する歴史がよみがえる横須賀開港100年。
1953年5月29日、英国の登山隊が世界で初めてエベレストの登頂に成功した。世界最高峰を制したのはエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイの2人。人類で初めて標高8848メートルの頂に立った。英国隊の登頂成功は高度に体を慣らすため時間をかけてゆっくり山を登るなど周到な計画によるものだった。英国ではエリザベス女王の戴冠式が間近に迫っておりエベレスト登頂成功の朗報に国中が沸き立った。紹介した映像はNHKアーカイブスでも視聴できる。
広島県・世羅町は農業が盛んな山里。訪ねたのは5月中旬。田植えを終えたばかりの田んぼが広がっていた。目に止まったのはきれいに刈りそろえられた茶畑。標高400メートルほどの山あいで育つ世羅のお茶寒暖差が大きいため甘みとうまみが強いのが特徴。春に摘んだお茶を頂くと水野さんは「渋みが全然ない」などとコメントした。昭和の初め世羅ではお茶の栽培が奨励され茶畑が広がっていった。しかし今、お茶農家が減り多くの茶畑が荒れてしまっているという。そこで12年前、会社員だった戸田雅伸さんは仲間と共に茶畑の再生に乗り出した。道の駅には世羅のお茶を使ったスイーツなども販売している。地元の高校では世羅のお茶の魅力をいかに発信するか考える授業が行われている。新茶の摘み取りをしていた松浦宏充さんと母親の照子さん。本業は野菜農家だが、畑の空いた土地で家族が飲むだけのお茶を育ててきた。照子さんは街中から世羅に嫁いで60年以上になるが当初は農家の暮らしに馴染めなかったが長年お茶と向き合うなかでその気持は変わっていったという。
エンディングのあいさつ。