- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
京都・東山区にあるあぶらとり紙で有名なよーじや 。創業から122年の老舗企業。よーじやのあぶらとり紙は手軽な京都土産として親しまれ、元々は1904年に創業。当初は舞妓などに白粉などを販売していたが、楊枝と呼ばれていた歯ブラシを販売を始め人気に。楊枝を売る店がよーじやさんと呼ばれる様になりその屋号も変わった。あぶらとり紙は1920年代に舞台役者から相談を受けて販売。おなじみのロゴになったのは1960年代の頃。その後テレビドラマで映ったのがきっかけであぶらとり紙は大人気に。以降、よーじやといえばあぶらとり紙と定着した。しかし、その商売には課題もあり、お土産として買われるが、日常使いには繋がらず、ブームが終焉すると売り上げは減少した。そんな老舗の危機を救ったのは國枝昴。國枝は60年ぶりにロゴマークを変更し、その大胆な改革を断行したのは去年3月のこと。本来のイラストから、シンプルな文字のロゴマークに変更した。そのかわり登場させたのは、新たなキャラクターだが元々のロゴにいた女性を「よじこ」元としてイメージを刷新。
京都土産の定番だったあぶらとり紙。ブームが去って以降よーじやは大幅に売り上げを減少させた。その脱・観光依存の一環として始めたのは京都以外での出店。2024年に東京・足立区の百貨店の中にもよーじやをオープン。そのコスメショップのような売り場に並ぶのはシャンプーや入浴剤などのこれまでとは違った品揃え。アイテム数は170あり、お土産ではなく日常使いとして使ってもらう商品を開発した。一番人気なのはハンドクリーム。商品に女性ファンがついて売り場は賑わいをみせた。去年11月には福岡の天神地下街にも店舗をオープン。地元客を集め、連日大賑わいに。よーじやは現在20店舗を全国に展開しているが半分が観光地以外。その売り上げは6割を占めるまでに。
看板商品としておなじみのよーじやのあぶらとり紙。しかし、今のその売り上げは20年間で4分の1に。國枝はその改革に社内で参加したのは、スイーツの試作。よじこがデザインされたパフェが登場したが新商品の試食会を行っていた。去年2月に國枝は京都市内にカフェをオープン。満席になるほど人気で、評判は上場でお客の絶えない繁盛店に。ここで振る舞われるのは、ロゴマークを入れた料理の数々。國枝はその狙いによーじやというブランドをやっているだけではイメージを変えることは難しいと思ったという。他にも去年11月にはそば店をオープン。昼時には行列ができるほどの人気店に。その安さは大盛りで500円。茹でたてで提供し、機械でコストを抑え低価格を実現。天ぷらは注文が入ってから揚げている。
よーじやのそば店の変わり種にはクラムチャウダーのつけそば。この10年のよーじやの売り上げはコロナ禍の落ち込むがあったものの國枝改革でV字回復。主力商品も入れ替わった。かつて全体の8割を売り上げていたあぶらとり紙は2割弱まで減少した。國枝はよーじやの時代の先端をいくという挑戦心がよーじやの創業魂のように感じるという。また元々あった手鏡のロゴを刷新したのは國枝で、これは絶対にやるという使命感を帯びていたという。それについて叱責もあったという。しかし実際にあぶらとり紙の売り上げは減少し、入社して半年後にコロナ禍になってしまい、売り上げが全くなくなった事があり京都に来なければ全く需要のないブランドだと痛感したと答えた。
飲食に活路を見出した國枝はこの日も新メニューを試食していた。老舗企業でリーダーシップを発揮しているが、ここにいたるまでは苦難の道のりだった。國枝は、大阪大学出身で卒業後は監査法人となり公認会計士を目指す。しかし資格取得を目前にして、よーじやおメインバンクから連絡が入り、会社が危ないと知らされた。今のままいくと融資できなくなると銀行も答えていたという。いつ倒産してもおかしくないという状況の中、そのタイミングで父親が病に倒れ、5代目代表に就任。しかしなぜ急に帰ってきたと、いきなり入社して経験もゼロなのに会社に入ってきたのかと顔にかいてあると感じたという。さらに当時のよーじやは業績が振るわなかっただけでなく、社内で二つの分断があり、対立も深刻だった。一つはあぶらとり紙を販売していた部署で、社内ではオリジナル派と呼ばれていた。もう一つは化粧品を扱う部署で、コスメ派と呼ばれ別組織のように動いていた。コスメ派はエステ事業を展開し、二つの派閥の分断を象徴するのがユニフォーム。同じ会社内で別々のユニフォームを着ていた。
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京都の老舗企業のよーじやはあぶらとり紙のブームが去ると業績低迷に陥った。そんな会社を立て直すべく國枝が立ち上がったが、社内には2つの派閥があり混乱にあった。その離職率は30%になっていた。社員からも未来を感じないなどとの意見も出ていたという。そしてそんな時にコロナ禍が直撃。京都から観光客の姿が消え、一日の売上はゼロの店も。このままでは会社はもたないと危機感が広がると社内から改革に賛成する声があがるようになった。國枝も改革のペースを加速させた。始まったのはスキンケア商品の開発。國枝は年功序列を廃止し、開発に関しては若手中心の開発スタッフを集めた。こうした取り組みで社内の空気も変化した。それは現場にも変化があり、皆先のことを考えるようになったという。
國枝は2019年に会社を継ぐことになったが、社内の状態に一番危機感を感じたのは1人として危機感を感じている人がいなかったという。完全に安心感に浸かっている会社だと感じたという。まず危機感を与えることを従業員に教えることが大変だったという。また社内で分断が発生しており、制服や通販サイトも二つあったが、自分たちの価値を主張するあまりお客を置き去りにしているような状況だったという。しかしその中でも社員は危機感を感じていなかったと答え、自分の代で全てが回ってくるのではないかと恐怖感があり、責任ある立場を作らなければと危機感を感じたという。國枝は改革に脱・観光依存を掲げ、当初はそれにも意見があったという。しかし理念を掲げる理由を知ってもらい、そこに向かって一丸と頑張ろうということが、今になってできるようになったという。
國枝の新しい挑戦は京都市内の農家を訪れ、大根を試食していた。こうした地の食材を自身の飲食店で使うことにこだわっている。去年11月には新しい店をオープン。26ダイニングは京都府内の26の市町村をさす。舞鶴市なら万願寺唐辛子などと京都の食材を使おうというコンセプト。野菜だけでなく魚介類も。京都各地の生産者と繋がっている。國枝がうなった甘い大根はおでんの具に。國枝は京都でのよーじやの立ち位置に愛されていないという危機感を感じていたという。コロナ禍になって観光客が来なくなったが最終的に支えてくれるのは地元の人だと感じたという。また創業当時は地元の人に支えてもらっていたのでその思いを忘れていたのが反省するべきポイントだと感じたという。また地元にど還元していくかを考えてこそ企業経営をしている意味があると語った。
先行き不透明な時代、サバイバルに必要なことに國枝は、老舗企業だが同じことをしていても意味はなく、新しいことをやり挑戦心を持ち続けなければいけないと答えた。
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村上龍は今日の総括に「よーじや」と言えば「あぶらとり紙」だが、最近、違ってきている。大正初期に「歯ブラシ」を売りに出し「楊枝」と呼ばれていたらしい。食べたものなどが、歯に詰まるのを避けることができるというころで、そういう名称になったのだが、さすが京都だと思う。昔からおしゃれな街だった。そういったイメージから、脱するのはむずかしい。國枝さんは「あぶらとり紙」を売上割合から減らすという無謀なことをやった。成功した。歯ブラシを売る普通の店になったのだ。とした。
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