- 出演者
- 北野剛寛 小山径 坂下恵理 塩崎実央 宮崎浩輔 市来秋果 藤本貫太郎 福元まりあ
オープニング映像。
オープニングの挨拶をした。
能登半島地震のあと休業していた七尾市の老舗のしょうゆ店が半年ぶりに製造を再開した。創業およそ100年のこの店は国の登録有形文化財となっている建物に外壁が剥がれ落ちたり歪んだりするといった大きな被害が出た。今も建物の修理は続いているが、一角にある蔵などは応急的な工事が完了したことを受けて、きょうから作業を始めたという。幸い、大豆や小麦などをもとにしたもろみが入った木だるは被害を免れていたということで店の人たちは大正時代から使っているという絞り器にもろみを送り込み麻袋に入れていった。もろみは、麻袋の重みで絞られこのあと徐々に重みを加えるなどして仕上げていくという。店ではクラウドファンディングを通じて集まった寄付も活用しながら引き続き本格的な営業再開に向けて準備を進めていくという。
加賀市の黒崎海水浴場が県内では最も早く今シーズンの海開きを迎えた。黒崎海水浴場は来月31日まで開設されるという。一方、石川県内では地震の影響を受け能登地方を中心に複数の海水浴場が今シーズンの開設を断念している。黒崎海水浴場は来月31日まで開設している。
富山市ファミリーパークでは、地震で大きな被害が出た石川県七尾市の「のとじま水族館」から避難してきたフンボルトペンギン10羽を受け入れ、4月にはペンギンが産んだ卵から2羽のひながかえって合わせて12羽になった。水族館の復旧作業が進んだことからペンギンたちは石川に戻ることになり、12羽のうち8羽の搬出作業が行われた。
富山県は能登半島地震で自宅が被災した人に向けて、複数の支援制度を分かりやすく伝えようと、被災状況や復旧の方法に応じた支援内容をまとめたパンフレットを作成した。この住宅宅地復旧パンフレットは被災した住民から“支援制度が複雑で分かりづらい”という声が寄せられたことから県が新たに作成した。この中では液状化の被害があったか、建て替えるのか修繕するのかなど、被害状況や復旧の方法によってどのような支援制度が活用できるのかがフローチャートで整理されている。そして、全壊や半壊など被害の程度に応じてそれぞれの支援制度で受け取れる金額が紹介されている。パンフレットには液状化の被害を受けた宅地を復旧する際の費用を最大760万円余りまで補助する事業や、住宅の新築や補修をする際に金融機関から融資を受けた際の利子を助成する事業など、合わせて8つの支援制度について対象となる条件や必要な申請書類それに問い合わせ先などが紹介されている。このパンフレットは県のホームページで見ることができる。
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- 令和6年能登半島地震富山県
京都・祇園の芸妓や舞妓などで作る「みやび会」のメンバーがそろいの浴衣を着て八坂神社を訪れ、芸の上達を祈願した。人間国宝の井上八千代さんは「夏を無事に過ごせること(を祈りました)。伎芸の向上に精進したい」と話す。
七夕を前に和歌山・白浜町のテーマパークで3歳のジャイアントパンダに笹飾りや氷などがプレゼントされた。飼育スタッフの渡邉康介さんは、「ぐんぐんと成長している。このまま健やかに成長してもらいたい」などと話した。
松江市で地元ゆかりの作家・小泉八雲やその著作をテーマにした工芸品などの展示販売会が開かれている。松江市の工芸職人などでつくる団体が開いたもので、会場になっている松江市の県物産観光館には小泉八雲や出版からことしで120年となる八雲の代表作「怪談」をテーマに作られた工芸品や日本酒などが並べられている。また地元に伝わる「出雲民藝紙」で作られた冊子には怪談に収められている「雪女」や「耳なし芳一」などの作品がイラストや英語訳とともにまとめられている。展示販売会は今月17日まで開かれ土日はアクセサリーを作るワークショップなども行われる予定だという。
七夕を連想させる魚を集めた展示会が県西部の水族館「アクアス」で開かれている。毎年、七夕に合わせて名前や見た目が七夕を連想させる魚を集めて展示。ことしは国内などの温かい海に暮らす3種類、6匹の魚が1つの水槽で展示されている。今月8日まで。
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- 島根県立しまね海洋館アクアス
七夕にちなんで津山市の美作大学と短期大学できのうときょうの2日間、学生たちが浴衣姿で登校し講義を受けた。毎年、七夕の時期に伝統行事として行われている。キャンパスには国家試験の合格や健康などを願う短冊がつるされた七夕飾りの笹が設置され、学生たちが講義の合間に記念撮影をするなどして七夕の気分を味わっていた。
瀬戸内海に面した瀬戸内市の中学生たちが地域の魅力を体験しながら学ぼうとヨットの操縦に挑戦した。ヨットハーバーに集まった牛窓中学校の1年生。職員から帆の向きの変え方やかじの扱い方それにヨットが傾いたときの対処の仕方などを教わった。救命胴衣を身につけ海へと繰り出す。沖合では陸上よりも強めの風が吹いていたが、子どもたちはヨットに身をゆだね気持ち良さそうに帆走していた。マリンスポーツが盛んな地域の特色を体験する授業の一環で行われた。
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- 瀬戸内市(岡山)
県内で最も早い海開きが鳥取市の白兎海水浴場で行われ、地元の観光協会の関係者などがシーズン中の安全を祈願した。鳥取市の白兎海水浴場は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響などで2020年からの4年間は開設されず、ことし5年ぶりの海開きになった。地元の観光協会の関係者など、およそ20人が海水浴場に集まりシーズン中の安全を祈願する神事が行われた。午前中、海に入る人の姿はまだ見られなかったが、砂浜の近くには早速、焼きそばやメロンパンなどのキッチンカーが出て海水浴客を迎える準備を進めていた。地元の観光協会では今シーズンコロナ禍の前とほぼ同じ8000人ほどが訪れると見込んでいる。県内ではこのほかの7つの海水浴場もあすから今月13日にかけて順次、海開きが行われ本格的な海水浴シーズンを迎える。
スタンプやメモ帳などデザインに工夫を凝らしたおよそ1万点の文具を展示販売する催し「文具の博覧会」が米子市のデパート「米子天満屋」で開かれている。訪れた人たちはお気に入りの品を手に取って楽しんでいた。今月21日まで。
草津市のささきクリニック・佐々木康成院長は地域のかかりつけ医として診察だけでなく、日帰りでできる手術も行っている。医師は佐々木さん1人だけ。看護師3人のサポートはあったが、体制に大きな課題を感じていた。診療所には最低限の設備しかなく、かかりつけ医の手術を受けたいと希望があっても少しでもリスクがある患者は病院に紹介していた。こうした中、病院では経営改善のため地域の診療所との連携を模索していた。話し合いの結果、佐々木さんに病院の手術室やスタッフを提供する試みを実施することになった。一般的に病院で手術を受ける場合患者はかかりつけ医から病院を紹介してもらい、その病院の医師に手術してもらう。新たな試みでは、病院がかかりつけ医を非常勤職員として雇用。患者にも病院に来てもらい病院の設備とスタッフを使ってかかりつけ医に手術してもらうという。病院にとっても手術件数を増やし収益の向上につながるメリットがある。ことし1月から、この方法ですでに20回以上手術を実施したという。病院も地域の診療所と連携が深められメリットは大きいと考えている。
大阪市を南北に貫くメインストリート御堂筋。金融業や商社のビルが立ち並ぶこの界隈は実は、モダンな建築の宝庫。大正から昭和にかけ人口も工業生産額も日本一だった大大阪時代と呼ばれたころに建てられた。大阪では近代建築のガイドツアーをよく見かける。御堂筋界隈7か所を歩いて探索するツアーでガイドを務めるのは建築士・円満字洋介さん。実業家・芝川又四郎が海外の視察で得た知識をもとに建てた自宅、芝川ビル。外壁は古代マヤ文明だが、屋根にはスペイン瓦。テラスの渡り廊下にはイタリア風のアーチと世界各地の意匠を詰め込んだ。大阪黄金時代に企業や実業家が財を投じた建物はその60年後の阪神淡路大震災も耐え抜いた。大大阪の近代建築の中で円満字さんが特に大阪らしさを感じるビルがある。昭和5年に時計店の本店として建てられた生駒ビルヂング。昭和8年に建てられたガス会社の本社ビル、通称ガスビルは8階建ての白亜のビルの中に当時の大阪人が憧れた場所がある。大阪城が一望できる最上階の西洋食堂。太平洋戦争末期、大阪を度々襲った空襲。人々がガスビルを敵の目から隠そうと白いタイル壁をコールタールて黒く塗りつぶしたことも。白い輝きを取り戻したのは終戦の4年後。大大阪の誇りを今に伝えるモダンな建築。
昭和61年7月5日、道路交通法が改正されて50cc以下のいわゆるミニバイクを運転する人にヘルメットの着用が義務づけられた。昭和30年代からオートバイに乗る人が増え、それとともに事故も多発するようになった。そのため、51cc以上のバイクのヘルメット着用が段階的に義務化されてきた。その後、50cc以下のミニバイクの急速な普及とともに死亡事故が増えたためミニバイクにもヘルメットの着用が義務づけられることになった。
昭和42年7月5日、横浜市本牧の埋め立て地に輸出する自動車専用のふ頭が完成した。昭和40年クレーンを使わず、自動車を運転して専用の入り口から船に乗り込む方式が開発され、車体を傷つけることなく効率的に輸出用の車の積み込みができるようになった。この日、完成したふ頭は長、さ360メートル。1200台の自動車を詰め込める専用船2隻が同時に接岸できるほか1万5000台分の車両置き場や部品のこん包作業場などがある。こうしたふ頭や自動車専用船などの技術革新が増加する日本製自動車の輸出を支えた。
平成24年7月5日、栃木県奥日光の戦場ヶ原でいちごを早く収穫するため苗を涼しい高原に移植する「山上げ」の作業が行われた。いちごはもともと寒い冬を過ごして春に実がなる果物だが、夏の間、涼しい高原で育てると収穫時期を早めることができる。男体山のふもとに広がる標高1400メートルの戦場ヶ原には毎年この時期地元栃木をはじめ千葉や埼玉などからいちご農家がやって来て山上げに追われる。9月になると「山おろし」と呼ばれる作業で平地に戻される。暖かいハウスの中で実った甘いいちごはクリスマス用などに出荷されていく。
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