- 出演者
- 堂真理子 大下容子 松尾由美子 佐々木亮太 デーブ・スペクター 中野信子 水越祐一 仁科健吾 駒見直音 浦林凜
日本マクドナルドはポケットモンスターのおもちゃが付いてくるハッピーセットについてきょうから3日間、1グループ3セットまでに購入を制限すると発表した。4セット以上注文した客に対しては購入を断りキャンセルすると説明している。ハッピーセットをめぐっては9日から3日間限定で「ポケモンカード」がつくキャンペーンが行われていたが、転売目的による大量購入や食品廃棄などが問題となっていた。
北朝鮮・金正恩総書記の妹・金与正氏はきのう朝鮮中央通信を通じ、李在明大統領就任後の韓国の北朝鮮政策について「少しも変わっておらず変わるはずもない」「韓国との関係を改善する意志は全くない」と指摘した。また、韓国に向けた騒音放送を行う拡声器について撤去が始まったとする韓国軍の発表を否定している。15日に開催予定の米ロ首脳会談については「過去に執着する会談には全く関心がない」と一蹴している。
北京できのう世界ヒト型ロボット運動会が開幕し、中国や日本、アメリカなど16カ国から約280チームが参加。500台を超えるヒト型ロボットが陸上やサッカーなど26の競技に挑戦する。中国当局はこうしたイベントを定期的に開催するなど国をあげてAIロボット産業の育成に力を入れている。アメリカの金融機関は中国のロボット市場の規模が2028年までに1080億ドル(約16兆円)に達すると試算。TVプロデューサーのデーブ・スペクターは「ロボットを対決させる大学生のコンペがあるが、本格的なアスリートのように使うのは初めて」、中野は「目覚ましい発展。かけるお金の額が日本と2桁くらい違う。日本の技術者も投入されると思う」とコメントした。各種目の上位3名にはメダルと賞状が贈られる。
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共同会見も予定されているトランプ氏とプーチン氏による首脳会談。停戦に向けた道筋は示されるのか。
みずほ銀行は生命保険会社と損害保険会社から受け入れている出向者を来年3月末までに帰任させる方向で出向元と協議している。新たな受け入れを取りやめることも調整している。保険業界では代理店への出向者による顧客情報漏洩などが相次いでいる。7月には日本生命の社員が出向先の三菱UFJ銀行の内部情報を無断で持ち出していた問題も発覚している。これを受け、三菱UFJ銀行はすべての保険会社からの出向受け入れを廃止する方針を示していた。
すかいらーくHDはきのう今年1~6月までの決算を発表し、売上高は前年同期比で15%増え約2209億円、利益は25%増え約78億円。原材料や人件費などのコストの増加に見舞われたが、ガストなどを中心に平日限定のセットメニューを拡充したところ客単価が増加。また、去年運営会社を買収し関東進出を果たした資さんうどんも好調で利益を押し上げた。
おととい午前1時ごろ、青森・弘前市の天体観測施設でペルセウス座流星群の「流星クラスター現象」が観測された。この現象は宇宙のちりが大気に突入する直前に分裂し、複数の流れ星が一度に観測される。ペルセウス座流星群で流星クラスター現象が観測されたのは世界で初めてとみられる。
終戦からきょうで80年を迎えた。戦争で亡くなった約310万人に向けて各地で祈りが捧げられている。1945年8月15日の正午、昭和天皇はラジオを通じて国民に戦争が終結したことを告げた。政府は毎年この日に日中戦争と太平洋戦争での戦闘や空襲などで亡くなった軍人や民間人約310万人を慰霊する追悼式を開いている。戦後80年となった今年、被爆者が初めて10万人を下回り、平均年齢は86歳となった。これからどのように戦争の記憶を継承していくかが改めて課題となっている。
間もなく政府主催の全国戦没者追悼式が開かれる日本武道館から中継。今年は遺族ら約3000人や天皇皇后両陛下、政府関係者らが参列している。参列した遺族の最年長は去年に引き続き98歳の長屋昭次さん。8歳離れた兄の保さんは出征先の中国で肺結核のため亡くなった。長屋さんは「一つの節目です。空襲を受けたことと戦時中の厳しい訓練を今でも忘れられません」と話した。また、今年初めて戦後生まれの参列者が全体の5割を超えた。参列者の最年少は3歳の片山純矢君で、曾祖母の伊藤早苗さんと一緒に参列。式典では正午に黙とうが捧げられる。
石破内閣の閣僚で終戦の日にあわせて靖国神社を参拝したのは小泉農水大臣が始めて。自民党のポスト石破候補の高市早苗氏や小林鷹之氏らも参拝。一方、石破総理は千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花を行った。靖国神社への参拝は見送り、自民党総裁として玉串料を私費で奉納した。
石破総理が準備を進める戦後80年の節目となるメッセージについて、林官房長官は「今までの談話の積み重ねも踏まえながら適切に判断するが、その際、戦争の記憶を風化させない、二度と戦争を起こさせない観点が大事だ」と指摘した。林長官は石破内閣の歴史認識について「これまでの総理談話を含め、歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と述べた。石破総理はすでに有識者から意見を聞くなどメッセージの準備に着手していて、きょうの終戦の日や日本が降伏文書に調印した9月2日を避けて発表する考え。
神戸大空襲を生き抜いた96歳の女性は今も駄菓子店を営みながら子どもたちに平和な世界が続くことを願っている。神戸・兵庫区の海沿いの住宅街にある「中川駄菓子店」で“おばちゃん”と呼ばれているのは店主・中川艶子さん96歳。4畳半の店内は創業当時のまま70年が経った。店には3歳~80代までの常連さんが訪れる。笑顔の奥には伝えておきたい平和への思いがある。太平洋戦争末期、軍事工場が多かった神戸は5回にわたりアメリカ軍による空襲を受けた。 中川さんが住む兵庫区が大きな被害を受けたのは1945年3月17日の空襲。神戸市の記録では5回の空襲で計7500人以上が犠牲になった。当時16歳だった中川さんは防空壕に逃げ込もうとした時のことを鮮明に覚えていて、「飛行士が見えていた。艦載機がきて後ろから撃たれた時が怖かった。あの時は死んだと思った」と話した。死と隣合わせの毎日、中川さんの青春は戦争に奪われた。20年近く店に通う男性は子どもの頃から空襲の話を聞いていて、「そういう話をみんなに広めていかないとアカン」と話す。小さな常連さんに同じ思いはさせたくないと、おばちゃんは強く願っている。
きょうは午前中から気温が高く、前橋では早くも35℃を超えた。関東で猛暑日になるのは1週間ぶり。午後は福岡・久留米や大分・日田で38℃、熊本では大雨災害後一番高い気温となる37℃が予想されている。各地とも熱中症に警戒が必要。一方、北日本は不安定な天気で未明には秋田県に記録的短時間大雨情報が発表された。
きょう8月15日は80回目の終戦の日。東京・千代田区の日本武道館では全国戦没者追悼式が執り行われていて、天皇皇后両陛下、石破総理らが参列している。参列する遺族の高齢化が進み、今年初めて戦後生まれが半数を超えた。式典では天皇陛下がお言葉を述べられる。
1941年12月8日、真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争。敗戦の色は濃くなるとともにB29が飛来し、人々は防空壕へ逃げ込んだ。学徒出陣、勤労動員、学童疎開、多くの民間人が戦争に巻き込まれていった。沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦、そして1945年8月15日に終戦。80年前のこの日を境に日本人には焼け野原から立ち上がった。奇跡の復興、世界経済を牽引する豊かな国を作り上げ、多くの国民が幸福な生活を手に入れていった。しかし、世界を巻き込んだ戦禍を忘れたかのようにヨーロッパでは3年半にわたる戦いが続き、中東では民族間の対立が激しさを増している。なぜ争いはなくならないのか。戦後80年の節目に「あの戦争」について考える。
ドラマ「緊急取調室」、「劇場版緊急取調室THE FINAL」の告知。
自国第一主義を掲げるトランプ氏の再登場で世界の安全保障を取り巻く環境が大きく変わった。ヨーロッパ各国はアメリカの求めに応じる形で国防予算の増大に突き進み、大国ドイツでは徴兵制再開の足音も。世界情勢が軍拡へと大きく傾く中、日本では先月出版された「『あの戦争』は何だったのか?」(辻田真佐憲著)が話題になっている。1941年に始まった太平洋戦争だけでなく、そこにつながる歴史にも目を向けるべきなのではと問いかける作品。この本には1941年12月8日の真珠湾攻撃よりも前から戦争が始まっていたと書かれている。1932年、関東軍が中国東北部に進出し満州国を建国したと伝えている。1937年には日中戦争の戦果が大きく伝えられたが日本はその後、泥沼の戦いに足を踏み入れることになる。なぜ「あの戦争」は始まったのか。戦争を繰り返さないために私たちが今できることを考える。
「 「あの戦争」は何だったのか」を手掛けた辻田真佐憲氏とともに終戦の日について伝える。日本は1931年9月18日に満州事変を起こし翌年に満州国を設立した。37年の7月7日の盧溝橋事件は日中戦争の発端となった。ヨーロッパでは1939年にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻したことを受けて、英仏が独へ宣戦布告したことで第2次世界大戦が始まることとなる。1941年12月8日には真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が始まった。1945年の3月に東京大空襲、4~6月に沖縄戦、8月6日は広島・9月は長崎に原爆が透過され、15日に終戦することとなった。9月2日には降伏文書の調印が行われている。そして、太平洋戦争の際には米英蘭と中国によるABCD包囲網もしかれる事となった。辻田氏は戦争の始まりを1937年の日中戦争ではないかと見ている。太平洋戦争からが日本の戦争と一般的には言われているが、日中戦争の時期にはすでに総力戦体制がしかれていたことが理由という。歴史は現代からの解釈として位置づけられる中、戦前の世代が亡くなっていく中で生存者に話を訊くことに加え教訓を活かしていくことが求められるのではないかとしている。戦争拡大の背景には資源の問題があると見られ、第一次世界大戦の後は協調の流れはあったものの世界恐慌で自国で資源を加工ブロック経済へと変わってしまった、自前で資源を確保する考えが強まったことで持たざる国は軍事行動を起こさざるを得ないという考えが強まったとしている。デーブさんは戦争の始まりは真珠湾攻撃からだが中国では残酷な出来事が起きていた、真珠湾攻撃以前のことを避けて通ろうとしているのではないかと指摘。中野さんは近現代史はほとんど学ばれない、曖昧にしておくことが是か非かは議論すべきではないかと言及。
第2次世界大戦当時は、日独伊参加国が枢軸国と呼ばれていた。当時の指導者だったヒトラーとイタリアのムソリーニは当時から独裁的な権力を持っていたのに対し、日本の太平洋戦争開始当時の首相は東條英機だった。一方で日本では軍部が政府と独立していたことで司令塔は不在だったと辻田氏は指摘する。日中戦争の頃から戦争に協力しない者は非国民と避難される空気感が流れていた。辻田氏は東條英機について、実際に首相となったのは太平洋戦争の2か月前のことであり、日中戦争の時は東京にもいないなど東條1人が日本・陸軍を主導したわけではなかった、軍の官僚から首相になった存在であり止めることは難しかったのではないかと見ている。辻田氏は新聞について戦争は関心度が高いことで報じると儲かるのが実情でありフライングで戦果を報じていた、国民も勝利の報道を娯楽と考えるなど軍部以上に国民やメディアも好戦的となってしまっていたと指摘している。
東京・千代田区の昭和館の戦後80年特別企画展「社会を映す、動かす-ポスターにあらわれる国際宣伝の姿-」では1937年の日中戦争から太平洋戦争にかけて制作されたポスターが展示されている。近現代史研究家・辻田真佐憲氏によると、日本がまだ比較的余裕があったころの満州事変以降、日中戦争中のポスターは色も鮮やかで図案も凝っている。政府から押し付けた面もあるが、プロパガンダは一般の人が嫌になってしまったら意味がない。人気の図案家に作ってもらえば、人々も娯楽として楽しんでもらえる。図案家も戦時中で仕事がなくなっていたが、そういう図案を作ればもうかり、一般の人々もそれを見て楽しむことができた。こうしたポスターの中で辻田氏が特に関心を寄せるのは民間企業によるプロパガンダ。市販薬のポスターに戦車が大きく描かれていて、戦車が強力である敵をどんどん撃破しているという効果と薬品の効果を重ねている。辻田氏はプロパガンダは上からの統制と民間、国民からの草の根的な参加によって生まれると指摘する。当時の空気感を伝えるものにおもちゃがある。
