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オープニング映像。
やってきたのは群馬県の北西部にある中之条町だ。この町には四万の病に効くと言われる、四万温泉があり、名物は蒸して作ったまんじゅうに甘めの味噌ダレを塗り焼いた焼きまんじゅうだ。今回は2年前来た時にお世話になった町田はる子さんにあいにやってきた。はる子さんはおまんじゅう屋を営んでいて、ぶっちゃけ発言が多く口が達者で元気なおばあちゃんだ。
群馬県中之条町でご飯調査を行い、2年ぶりにはる子さんに会いにお店へ向かった。お店の中に入ってみると、物はあるが人の気配がなく、道具などが全部なくなっていた。はる子さんを探すために聞き込みをしていたところ、はる子さんは引退して、ほかの従業員が別の場所で引き継いだという情報を得た。早速お店にいってみると2年前取材したときに従業員だった菅谷顕治さんがいた。高齢で引退したはる子さんの代わりに顕治さんが去年4月に新規オープンしていた。現在ははる子さんのはこと顕治さんのけんを合わせてはこけんという名前でお店を営んでいる。
群馬県中之条町でご飯調査。2年前に出会ったはる子さんに再会するため元従業員の菅谷さんと自宅へ。町田はる子さんは現在83歳、まんじゅう作りは引退したものの普段はデイサービスに1日おきで行き、畑仕事もこなす。現在娘さんと2人暮らし。あなたのご飯見せてくださいなどと交渉、今回も交渉成立。
群馬県中之条町で2年ぶりに再会したはる子さんのご飯を調査。菅谷さんは仕事に戻りはる子さん1人でご飯作り。まず塩漬けしたふきを水洗いし、程よく食感を残すため粗めにみじん切り。スタッフが少しお手伝い。みじん切りしたふきと自家製味噌を加え約5分炒め、ふきみその完成。そこで娘の里子さんが帰宅。はる子さんは、買ったもんよりはおいしい、そういうんで育ったせいだねなどと話した。はる子さんは今年90歳の誕生日を迎えた。
祥子さんがどうしても会いたいご家族は有馬さん一家。会いたかった理由はなんと2男3女のお子さんを持つ大家族。子どもたちの成長を喜ぶ幸せな家族だったが、当時家族で乗り越えなければいけない試練があった。
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番組では公式グッズを発売中。詳しくは番組ホームページへ。
祥子さんがどうしても会いたいご家族は有馬さん一家。会いたかった理由はなんと2男3女のお子さんを持つ大家族。子どもたちの成長を喜ぶ幸せな家族だったが、当時家族で乗り越えなければいけない試練があった。この時、奥さんは血液の病気を患っており、骨髄移植をしないと命が危険な状態だった。あれから約2年が経っていた。まずは出会いの場所だったご主人のお店へ。お店でお子さんが帰ってくるのをグラタン「海の幸海鮮グラタン」を食べながら待つことに。そして「あなたのご飯見せて下さい」、奥様も元気になったということで晩ごはんを見せてもらえることになった。するとそこに子ども達が帰ってきた。帰ってきたのは8歳になった次男と10歳になった長男。家では家事のお手伝いがあるため、お店で宿題を済ませるという。
お店を閉めて、長女と三女を迎えに行くのが日課。まずは5歳になった三女、そして14歳になった長女も合流。さっそく奥様が待つご自宅へ。以前住んでいた家は赤レンガの2階建てのご自宅だった。引っ越したお家へ。お会いした途端奥様は嬉し涙を流していた。もう1人出迎えてくれたのは二女だった。これで子どもたち全員集合。
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以前の家は大家族だけあってふすまは穴だらけ、さらに障子も穴だらけ。ちなみに現在は勉強に集中できるよう中学生のお姉ちゃん2人には個別の部屋。ただし、前に使っていた二段ベッドは今も活用されている。奥様は2年前、血液の病気が発覚。しかし前回の放送後、ドナーが見つかり昨年2月に骨髄移植ができた。移植手術は無事に成功、しかし2ヶ月間は感染の恐れがあるため無菌室で過ごしていた。無菌室には入室するための年齢制限があり、子ども達に会えなかったことが辛かったそう。移植手術から3か月後に無事退院。
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有馬家の晩ごはんを拝見。子どもたちのリクエストで本日は父の名がついた「卓ちゃん鍋」に決定。ご両親の代わりに子どもたちと一緒に買い物のお手伝い。しかし実は子どもたちと買い物に来たのには他にも目的が。それは久しぶりにご夫婦を2人きりにしてあげることだった。一方子どもたちはメモを頼りに鍋の買い出し。卓ちゃん鍋は豆腐に白菜と、至って普通のお鍋の材料と思いきや、ミンチも2kg購入。買い物はスムーズに終了。お母さんを助けるため買い物はお手の物だった。
大家族の知恵!究極の手前いらず、「プルプル水餃子風鍋」。お母さんの体調を気遣い、ご飯作りはいつもご主人と子どもたちが担当。まずは白菜を細かくカット。ここで2kgの合挽きが登場。これを先程の白菜の中に入れ、えのきも加える。ごま油、塩コショウ、だしの素で味付け。手際はバッチリ。女の子チームが料理をしている頃、男の子チームはお風呂掃除。有馬家では子どもたちが家事を分担。家族一丸となってお母さんを支える。具材が良い感じに混ざってきた。そこで取り出したのは餃子の皮。先程混ぜた餡を鍋の中へそのまま投入。更にこの中へ餃子の皮をそのまま投入。有馬家の本日の晩ご飯は、大家族の知恵、包む手間を省き、子どもたちを待たせないようにと時短と美味しさを追求した鍋「卓ちゃん鍋」。お好みでポン酢やゴマダレで食べるのが有馬家流。2kgのひき肉を使った皮で包まない特製水餃子。2年ぶりの有馬家の食卓。卓ちゃん鍋をいただいた祥子さんは「美味しい!食べたら水餃子ですね。お肉の旨味と白菜の甘みとごま油の味付けがきいてて、パクパクいける。」等とコメントした。お母さんは今後の夢について「主人より1分1秒でも長く生きる。1日1日ですけど、最終的にはそこが夢。」等と話した。お父さんにも夢をきくと、「普通で良い。普通が幸せって思うようになった。」とのこと。
港を離れ、町中へ。今回土佐清水市にやってきたのはどうしても会いたい方がいるから。おととし10月、遠くからでも目立つ「大学」の看板の下で出会ったのは、たこ焼き店を営むご主人・西川邦雄さん。
父のあとを継ぎ、43年間「大学」というちょっと変わったキャバレーを経営していた西川邦雄さん。キャバレーを閉めたあともまだまだ働きたかった西川さんは店の前に自分で建てた店「たこ焼き大学」をオープン。たこ焼きは本を3、4冊読み独学で始めたという。ちなみに建物の左半分は奥様が経営する居酒屋。奥様の西川房美さん。当時西川さんは20歳で結婚し、21歳で子どもを作ったが1年半で亡くなり、2人目の子どもが神戸で小さい店して頑張ってたが、有名になりかけたところでガンになったということを語ってくれた。
今も変わらず毎日たこ焼きを作り続けている西川さん。ちなみに今日のお昼ごはんは?奥様がよければ見せてもらえるとのこと。たこ焼き店のご主人と居酒屋を営む奥様。仕事柄生活のリズムは正反対だそう。ご主人がたこ焼きの下準備をしていると奥様が登場。奥様の買い出しが済んでからご飯を見せて頂けるとのこと。奥様の買い物が終わるころを見計らい、自転車で向かうご主人。奥様は自転車も車も乗らず全部歩きだそう。やってきたのは地元のスーパーで奥様の荷物をご主人が自転車で運ぶ。
いったんご主人を見送ったスタッフ。実はあることを思いつきスーパーで買い物。スタッフが購入した座布団とテーブルクロスをセッティングした。ご主人は「これいいね。結局座りよったらペッチャンなる」と話した。
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買い物を終えた奥様はお昼ごはんの準備。西川家の定番おかずは目玉焼き。ご主人には卵2つ。そして奥様は1つ。シンプルな目玉焼きだがこれが長年連れ添った夫婦の決まりごと。西川さん家の本日の昼ごはんを紹介。地元土佐ではメジカとよばれるソウダガツオ。ダシに使われることも多く、旨味が強い。そして目玉焼きは西川家の定番おかず。カウンターでお昼ごはん。間に1席あけて座るのもベテラン夫婦らしい距離感。結婚して50年、昨年金婚式を迎えたお二人。その記念に3泊4日で初めての北海道旅行に行ってきたそう。息子さんが亡くなってから5年。しかしまだ気持ちの整理ができていないという。せっかくなのでご飯のあと、金婚式の記念写真を見せてもらった。1ヶ月前に結婚したというスタッフ。夫婦円満の秘訣をお二人に尋ねた。西川さんは「若い時に女房が辛抱してくれた。女のおかげ。女房も含めて女のおかげ」と話し、奥様は「夫婦喧嘩をしても私は一杯飲んで帰るというが、主人は絶対言ったことがない。出てけと言われたことない。だから今まで居れた」と話した。息子さんが使っていた部屋へ。息子さんの部屋はそのままにしているという。息子さんの嫁さんが帰って来た時にベッドで寝るそう。西川さんの息子さんは西川さんのすすめで調理師学校に行き、最初は嫌々いたが、自分で店をダシてから板場になってよかったと、お父さんのおかげと言ってくれたそう。息子さんの分までこれからも夫婦で手を取り合い頑張って下さい。いつまでもお元気で。
東京都町田市でご飯調査。市が名産品に指定する「成瀬ギョーザ」は餃子の具材を詰めたソーセージ。ラーメンの激戦区でも知られ、50以上の店がしのぎを削る。「ラーメン町田家」は豚骨醤油ラーメンの老舗。栃木県出身だが桜美林大学卒で町田市在住12年のU字工事・益子卓郎さんが取材した。
益子卓郎さんが大学入学時に住んでいたというアパートを訪ねた。当時築40年、すでに取り壊されて別の家が建っていた。
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ニンニクを炒めるだけで10分!? こだわりにこだわりぬいたペペロンチーノ