- 出演者
- 田代杏子 丹沢研二 浅井僚馬 森圭介 松岡忠幸 小山径 三橋大樹 原田裕和 坂下恵理 戸崎悠斗
オープニング映像が流れた。
金沢市のNPO法人「みんなの畑の会」は、今年2月から全国から寄せられた支援物資を無料で配る活動を続けている。昨日は金沢市のみなし仮説に住む人たちが多く集まっていた。また会場には交流スペースが用意され、物資を受け取りに来た人たちが近況や悩み事を共有する場となっている。
日立市のかみね動物園で先月、長野県の動物園から来園した2頭のアムールトラの公開が始まった。アムールトラはロシアや中国東北部の寒い地域に生息しトラの種類の中では大型で活発に動く姿が特徴。日立市にあるかみね動物園では新しい施設を建設する長野県の動物園から2頭のトラを一時預かることになり、先月いずれも4歳の雌と雄の2頭のアムールトラが来園した。そして、今月中旬から1頭ずつ屋外の展示施設での公開が始まった。かみね動物園によると、動物園でこれまで飼育しているベンガル系の雌のトラを含めた3頭を交代で1頭ずつ公開していくという。
6年前の西日本豪雨で大きな被害を受けた高梁市で、市民に防災について改めて考えてもらおうと、当時の様子を伝える写真展が開かれている。会場の高梁市図書館には豪雨の直後に市民が撮影したものなど23点の写真が展示されている。西日本豪雨では市内を流れる高梁川や支流の成羽川が氾濫するなどして、各地で大規模な浸水や土砂崩れが発生した。また災害は繰り返し起こることを知ってもらおうと、市内を襲った昭和9年と昭和47年の水害の写真も並べられ、自主防災組織の活動マニュアルや地域別の防災マップを持ち帰ることができるようになっている。写真展は来月16日まで開かれている。
太平洋戦争末期の岡山空襲からあすで79年。平和の大切さを訴える企画展が岡山市で開かれている。会場の岡山市役所にはおよそ80点の資料が展示されている。岡山空襲は昭和20年6月29日、米軍の爆撃で、1700人を超える人が犠牲になり、岡山市の市街地の6割以上が焼失した。長さが50センチ・重さが3.8キロほどの焼夷弾のレプリカ、戦時中に物資が不足し旧日本軍の命令で備前焼で作られた手りゅう弾の実物も展示されている。空襲の前と後に岡山市を上空から撮影した写真のパネルは大きさが3メートル四方あり、住宅が並んでいた場所が焼けてしまった様子を比較して見ることができる。展示会はあすとあさっては休みで、来月1日も開かれる。
自転車が車とぶつかる事故をスタントマンが再現する交通安全教室がきのう、岡山市で開かれ警察官がヘルメットの着用を呼びかけた。岡山中学校・岡山高校での教室にはおよそ500人の生徒が出席し、スタントマンが自転車が絡む交通事故を再現した。警察によると、県内で自転車が関係する交通事故は、去年はおととしより200件以上多い1146件発生し、死亡した6人のうち4人がヘルメットを着けていなかったという。
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- 南区(岡山)岡山中学校・岡山高等学校
東日本大震災の被災地で震災伝承に取り組む団体への調査で、9割以上が今後の活動の継続に不安を感じていることが分かった。この調査は公益社団法人「3.11メモリアルネットワーク」が岩手、宮城、福島で伝承活動に取り組む団体を対象に行ったもので、26の団体から回答が寄せられた。それによると、伝承活動の継続について「大いに不安」、「どちらかというと不安」と答えた団体は92%に上った。伝承の継続にとって重要な資金について尋ねると「人件費」、「広報費」、「活動場所の維持費」などを挙げている。震災伝承に関する公的な支援の現状について尋ねると「不十分」、「どちらかというと不十分」と答えた団体が全体の61%に上っている。
江戸から明治にかけて紅花の栽培やその取り引きで栄えた村田町で、地元の小学生が自分たちで育てた紅花の収穫作業を体験した。村田町は江戸時代から明治時代にかけて口紅や染め物の原料となる紅花の栽培と取り引きで栄え、今でも数軒の農家が観賞用として紅花の栽培を続けている。こうした町の歴史や文化を学ぼうと、村田第二小学校では毎年6年生の児童たちが生産農家の指導を受けながら学校近くの農園で紅花の栽培を行っている。ことし4月に種をまき、大切に育ててきたおよそ800本の紅花が収穫の時期を迎え、20人の児童がはさみを使って刈り取り作業を体験した。収穫した紅花はまだ黄色やオレンジ色だが、切り取った後しばらくするときれいな紅色になるという。児童たちは家に持ち帰るほか、ごはんとともに炊き込む「紅花ぶかし」という郷土料理にして給食で味わうという。
甲府市のワイナリーで熟す前のぶどうを使ったワインの仕込み作業がきょうから始まった。ワイナリーによると、ことしは梅雨の時期の晴れと雨の条件が整い実が大きく育ったということで、甘みと酸味のめりはりが効いた爽やかな味のワインに仕上がりそうだという。このワインの仕込み作業は来月10日ごろまで続く。
山梨県にゆかりがある画家の作品展が甲府市のギャラリーで行われている。この作品展は山梨県の出身者や、県内の在住者で長年活動を続けている50代から80代の5人の画家の作品およそ40点が展示されている。このうち大月市出身で40年近く人物画を中心に描いている福田稔さんの作品「Sさん」は、女性の存在感や内面を表現した作品で、独特の色使いや筆使いが印象的。また20年前に北杜市に移住し八ヶ岳の山麓の風景画を描いている栗原成和さんの作品「夏は来ぬ」は、初夏の田園風景を描いた透明水彩画で、淡い色合いなどから懐かしさも感じられる。この他、布や土などを使って独特な世界観を表現した作品など個性的な作品も展示されている。この作品展は甲府市の「ギャラリー1045」であすまで開かれている。
梅に似た白い小さな花を咲かせる水草「梅花藻」が遊佐町を流れる川で見頃を迎えている。遊佐町を流れる牛渡川は鳥海山の湧き水が水源で年間を通して水温が11度前後と安定していて梅花藻の名所として知られている。遊佐鳥海観光協会によると、ことしは今月中旬から花が咲き始め、この時期見頃を迎えているという。牛渡川の梅花藻は来月中旬まで楽しめるという。
鶴岡市の月山高原では、耕作放棄地を活用して育てた小麦の収穫作業が行われている。鶴岡市羽黒にある月山高原で収穫作業が行われたのは「ゆきちから」という品種の小麦で、雪が積もる寒冷地での栽培に適している。月山高原では農家の高齢化などの影響で耕作放棄地が増え、有効に活用しようと地元の農家などが中心となって4年前から小麦の生産を行ってきた。この地域での小麦の作付面積は年々広がり、ことしはおよそ40ヘクタールで栽培していて、80トンから100トンの収量を見込んでいる。刈り取られた小麦は西川町にある製粉工場で加工し鶴岡市内の飲食店や加茂水族館のレストランなどで提供されるという。
今、全国の小学校で外国ルーツの児童がクラスで仲間外れになるといった問題が起きている。岐阜市にある「黒野こども園」では幼児期から違いを認める心をはぐくもうと新たな試みを始めている。外国人の園児は市内最多のおよそ30人。その国籍は8か国に及ぶ。園が力を入れているのは体験型の教育。楽しみながらお互いの国のことを知ってもらうのが狙いとのこと。こうした方針の大切さに気づいたのは4年前で、イスラム教の断食期間中、給食の時間だけムスリムの子どもたちを職員室で過ごさせていた時のこと。日本人の園児から「なんで違う給食なの?」などの質問が飛んだという。見た目や習慣の違いを得体の知れない壁と思い込んでしまう前に、そこに素直な興味を感じてもらうことが大切だと考えるようになった。芽生えた興味をより育んでもらうために毎年行っているのがモスクの訪問。自分と違うものに心を開き交流を重ねていくことが貴重な原体験になると園では考えている。
山形県寒河江市にある慈恩寺では毎年5月5日に舞楽が奉納される。この地に舞楽を伝えた林家に一子相伝1200年。目を引くのが鮮やかな装束の色・紅花染め。紅花は黄色い花をつけるキク科の植物で山形は全国一の産地。花を集めて潰し発酵・乾燥させた紅餅を水で戻して染めに使う。紅花は江戸時代、米の100倍・金の10倍という高値で取り引きされていた。たくさんの紅餅が最上川を下り、北前船で京都や大阪へ。紅花の染め物や口紅を裕福な人々が競って買い求めた。草木染め染色家・佐久間雅子さんは紅花染めがやりたくて染色家の道に進んだ。紅花染めは、まず紅餅をほぐして一晩水につけて濾し、さらに水につけて濾すを繰り返して黄色の成分を取り除く。最後にわら灰というアルカリ性の液に漬ける。紅花の赤い成分はアルカリ性で初めて溶け出すという。染めるのは16メートルの反物。端まで行ったらまたすぐもう一度。ムラが出ないように動かし続け、さらに染料を足して色をあげていく。アイロンをかけて乾かすと初めて仕上がりの色が分かる。
昭和23年6月28日、福井平野を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生。大きな被害を出した。震源が地下およそ20キロと極めて浅い直下型の地震だった上、福井平野の地盤がぜい弱だったためで、3万4000棟以上が全壊。3700人が亡くなった。当時の震度は6が最大だったが、この地震による被害の状況が震度6を大きく上回っていたため、この後新たに震度7が設けられた。地震の1か月後には豪雨が襲い、地震で脆くなっていた九頭竜川の堤防が決壊。福井市内は水害にも見舞われた。
昭和54年6月28日、東京・元赤坂の迎賓館で東京サミットが開幕した。このサミットは日本の大平総理大臣など主要7か国の首脳とECの委員長が出席し、アジアで初めて開催されたサミットとなった。第2次石油危機を受けて開かれたこのサミットでは、深刻化するエネルギー情勢に対処するため、石油問題についての議論が全体の半分以上を占めた。翌日、各国の石油の輸入抑制目標などを盛り込んだ東京サミット宣言を採択し2日間の日程が終了した。
平成21年6月28日、北海道夕張市で夕張メロン祭りが9年ぶりに復活した。かつては夕張名物の祭りだったが、バブル崩壊後にメロンを作る農家が減った上。市の財政難もあり、平成13年から開かれていなかった。特産のメロンを通して夕張をもっと元気にしていきたいとこの年に復活した。会場には観光客や市民およそ6000人が集まり賑やかな祭りとなった。会場には観光客や市民およそ6000人が集まり、にぎやかな祭りとなった。会場ではメロンの競りを体験する模擬競りが行われたほか、早食い競争や無料試食会も催され甘く熟した夕張メロンの味を満喫していた。
スタジオトーク。小山アナは迎賓館を訪れた時の感想として、「こんなにきらびやかな場所があるんだと思った」などと話した。
九州の西部・天草諸島の一つである下島。島の周りの海は南から暖かな海流が流れ込み、90種以上のサンゴが群生している。海底一面にさまざまな姿・形をしたサンゴがあり、たくさんの魚が集まっている。島の北部・島原半島との海峡では速い流れの中をイルカたちが泳ぎ回る。下島の海は日本有数のミナミハンドウイルカの生息地。およそ200頭が1年を通して見られる。