- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
魚や一丁 新宿三光町店では新鮮な魚が楽しめる。また店で提供されるのはワンカップ大関。凍ってはイないが、数回衝撃を与えるとマジックのように日本酒がシャーベット状に。みぞれ酒が楽しめるが、市販で売られている普通のワンカップをマイナス15度に冷却して飲むという新しい提案。そのお酒を作る大関が今回の主役。安い、うまい、お手軽と三拍子揃ったお酒でおなじみ。1964年に発売された。日本酒は一升瓶で飲むのが普通だった時代に、蓋を開けてそのまま飲めるスタイルで売り出すと大ヒット。業界を驚かす画期的な商品に。その後長らく大関の屋台骨を支えたワンカップだったが、1990年代に吟醸酒などのブームがおこり、日本酒は高級志向の時代へ。ワンカップの売り上げはジリジリと下がっていく。
東京・池袋のサンシャインシティで始まったのは日本酒の利き酒会。5000円の参加費で全国の酒蔵が出品した400種類もの新種が味わえるイベント。
全国新酒鑑評会 公開きき酒会には大関の新酒もおかれていた。日本酒通もうなる本格的な日本酒作りに力を入れているという。大関のふるさとは酒処の兵庫県西宮市。酒造工場とともに建つのが大関の本社。中では高級志向を強めた酒造りを行い、希少価値の高い酒米を使用し磨きを高めてこれまでにない味を生み出している。創家 大坂屋 純米大吟醸は4合瓶で3000円以上する。兵庫県産の酒米・山田錦を100%使用している。華やかでフルーティーな味わいが特徴。フランスで開催された日本酒のコンクールで金賞を受賞するなどしている。しかし大衆酒で成功してきた大関が高級志向にシフトし始めたのか?その決断をしたのは長部訓子。その危機感に自分たちの酒造りの伝承が受け継がれていないのでは?という危機感があったという。2017年に社長に就任した。
この日本社の一室で始まったのはリニュアル商品の試飲会。3年前に長部の発案で作った#Jは有機米を使ったオーガニックの純米酒。それをリニューアルしワイン感覚で楽しめるようにしたいという。2000年代売り上げの4割はワンカップだったがm今は3割あまりに。ワンカップ頼みの状態から変わってきている。
感や経験に頼っていた酒造りを化学的に行うべく1980年に研究施設が作られた。大学院で微生物学を学んだ20人が勤務し、発酵段階で香りやアルコールを生み出す酵母など、酒造りに関する様々な研究が行われている。中でも一役買われているのが奈良女子大学大学院卒の水谷泉美.味わいを左右する酵母のアルコールや果物のような香り成分を生み出す。これを爪楊枝とりだし、培養液に入れて菌の数を増やしていく酵母を使って求める味を作るのが仕事。研究員の試行錯誤を経て生まれた商品が本社のすぐ近くにある直営店に。ワンカップ以外の日本酒に、凍らせて楽しめるフローズンカクテルや、フルーツ濁り酒が。アルコールだけでなく発酵鍋の素や食品も展開している。その純利益は2017年度と比べ2024年は3倍になったという。
スタジオに大関で製造しているお酒が登場した。長部はワンカップが売れすぎた弊害についてカップ酒を全てワンカップと言ってくれるが、そのぐらい他の商品が浮かばない特別ヒット商品があるのは会社の危機であると父が話していたという。この流れを変えるには難しいと語り人口減少や食生活の変化に対応していくのが大変だと答えた。また2024年には伝統的酒造りがユネスコ無形文化遺産に登録されたというが、2013年に和食や 日本人の伝統的な食文化がユネスコ無形文化遺産に登録されたという。日本各地の伝統的な地域色の豊かな食材で和酒も日本酒も育ってきていると答えた。
挑戦して新しい物を生み出す大関の姿勢は今に始まったことではない。長部は社長室に掲げられた社是を紹介したが、そこには「魁集団への躍進」とあったが将来を見据えた組織になろうという思いが掲げられている。長い歴史の中で培われてきた精神。ワンカップの発売は1964年の10月10日。東京五輪の開幕にあわせグローバルな商品にしようと商品名をアルファベットにして販売。その後自動販売にで日本酒販売を拡大。1979年にはアメリカ・カリフォルニアで醸造を開始。一方長部は1957年に創業家の一人娘として誕生。大切に育てられてきたが高校2年で母の病気を理由に学校を中退している。その後母は回復し、長部は結婚しIT企業につとめながら2003年に社外監査役に就任。しかしワンカップ大関の売り上げは1993年をピークに減り始め下降の一途に。それに変わるヒット商品を生み出せずその経営は厳しさを増していった。2015年に当時会長だった叔父に会社の中に入って中を見てほしいと頼まれ、長部は取締役に就任。その時すでに経営は危機的状況に。人員削減を2回行い、社員の2割にあたる100人の人間が会社を去ったという。
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大関は経営危機となり人員削減を2回行った。大関をなくしたくない一心で初の女性社長になった長部。その3年後には新型コロナウイルスが猛威を振るう状況に。飲食店におろしていたお酒が売れずに売り上げが減少した。一方で巣ごもり需要で家庭で気軽飲める酒が求められた。長部は社内に残っていた資料を持ち寄ったが、古いノートに記されていたのは、発売されたワンカップ大関をどうやってヒットさせるか?社員がアイディアを出し合って考えた。そこに熱量を感じ取った長部は決断する。原点に立ち戻ってこの時代に求められるものを作るべきだと考えた。2023年に長部は時代にあった商品を生み出すための会議を復活。そこには商品企画にとどまらず、営業や製造など様々な部署の人間が集められて意見を交わすことに。この日の議題は以前にも販売し今回も販売することになった大相撲ワンカップについて。この会議をきっかけに商品開発は活性化した。様々な商品が生まれるきっかけになった。今では日本酒の新しい飲み方のアイディアもでるようになったという。
長部はワンカップは東京五輪の開幕日に発売されたことに関して、祖父がワンカップを発案したがその頃は日本酒は、一升瓶が当たり前の時代だったという。コップ酒というスタイリッシュに機能的でそのまま飲める酒はないかということで発案された。また世界中の人が訪れるとあってロゴはアルファベットにされたという。また最初の発案段階ではワンコップになりかけていたという。
大関の本社では海外販売にむけた商談が行われていた。売り上げが伸び悩む国内とは対照的に、海外では好調。50の国と地域で販売している。そこで売り出したのが5年前に新品種の今津紅寒桜から酵母を採取して作ったサクラビューティー45。蜂蜜のような甘さがするという。この商品を更に伝えていくためにアメリカの販売代理店を呼んでいた。アメリカのスーパーなどでは4合瓶を販売。レストランなどにもおきやすい300ミリリットルの小瓶もおきたいという話に。長部は海外での日本酒の販売は順調だと答えた。
村上は今日の総括に、1711年、「大坂屋」を屋号として、7代目から「長部文治郎」を酒名した。その伝統を示すエピソードがある。本家代々の家長の喉仏が京都に、他の骨は「大関」の本社のある西宮の墓地にあった。京都で手続きを終え、遺骨を布袋に入れ、車で西宮に運んだ。長部さんの膝の上にある遺骨から、歴史の重みが伝わってきた。300年の歴史だ。そんな風に伝統を感じるときって、なかなかない。1964年に「ワンカップ大関」は生まれた。革命的にカジュアルだった。そのカジュアルさを残しつつ、新しい伝統を作るというむずかしさに挑む。とした。
カンブリア宮殿の番組宣伝。