- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
都内の飲食店の売りは、旬野菜のセイロ蒸し。素材を生かしたヘルシーな料理が評判だという。その店で注文が飛び交っていたのが獺祭。2014年に番組で取材した際には注文に生産が追いつかず、巷では幻の酒と言われていた。スタジオには社長の桜井博志氏が登場していた。今や獺祭は、海外にも広まって大人気に。2024年には、ミシュランの三つ星シェフのヤニック・アレノ氏とタッグを結成し、パリにフレンチと和食を融合させたレストランをオープンした。25年にはアカデミー賞の祝賀会のメニューにも採用された。前回登場時には、51億円だった売り上げは、213億円にまで膨らんだ。
獺祭のビル内の蔵には毎朝搾ったばかりの酒が並ぶ。そこへ会長の桜井博志が。獺祭で大成功をしたが、獺祭の現状については満足はしていないという。1984年旭酒造の社長に就任した桜井。当時は地元向けの大衆酒を作る小さな酒蔵だった。売り上げは10年前の3分の1までに激減。どん底からのスタートだったという。桜井は安い紙のカップ酒を作ってみたが、地元山口の名産品にふぐに合う酒を作ってみたりあの手この手でなんとか持ち直そうとしたが、1年ほどになったらダメになってしまったという。その時に品質で突破していくしかないと思い知らされた、そこで挑んだのは純米大吟醸。米、米麹、水で造られる精米歩合50%以下の日本酒の最高峰とも言える酒。酒造りは難航し、結局6年の歳月も経て完成し、桜井は獺祭と名付け1990年に発売を開始。これで業績が上向いた旭酒造だったが、落とし穴には1999年にブームにのって地ビールの事業に失敗し、倒産寸前に。この惨状に杜氏が蔵を去ってしまった。杜氏は現場責任者で、外部から雇う酒造りの職人。この杜氏がいないという状態が独自の酒造りの転機になっていった。桜井は糖やアルコールの濃度などすべてのタンクで途中経過を数値化。そのデータを元に社員だけで酒造りを始めた。当時、純米大吟醸は少量生産が当たり前。しかしデータ重視のやり方なら大量に作れると、桜井は獺祭の量産に踏み切った。これが、日本酒業界に大きな影響を与えることに。都内の老舗酒店は全国の酒蔵とつながり、貴重な名手を販売している。長年日本酒を扱っていた堀口さんは純米大吟醸は高値でハレの日需要でしか飲むことがなかったが、手頃な価格で純米大吟醸を届けだし、身近な存在にしたのが獺祭だったという。成功を果たした桜井は2016年に会長に就任。そのあとを引き継いだのは社長で息子の一宏。
獺祭の社長の桜井一宏は元々家業を継ぐ気はなかったという。しかし早稲田大学を卒業後に東京のメーカーに就職したがその仕事帰りに同僚と飲んだ際に獺祭を飲んだところ、美味しいことに驚いた。獺祭の価値に気づいた一宏は2005年に旭酒造に入社した。11年間父のもとで働き、社長に就任。経営者の変わった獺祭だったが、中身も進化を繰り返している。
獺祭の醸造リーダーを務める村田。毎朝数値化されたデータを確認しながらその日の作業内容を決めている。内部の数値を見ながら、タンクをどれだけ冷却するか判断している。決まったルールはなく、村田の判断次第で、冷却水のレバー一握りで味が変化する重要な仕事。村田のようなチームリーダーは、社内に4人いてデータを元にした酒造りの経験を積み、よりおいしい獺祭を作れるようになったという。
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獺祭の原料はすべて、酒米の王様の山田錦。しかし山田錦は風で倒れやすく病気にかかりやすい栽培しづらい性質。生産する農家は少なく質のいい山田錦を大量に確保するのは難しい。そこで獺祭が2019年から始めたイベントは最高を超える山田錦プロジェクト2019。全国の農家から山田錦を募り、粒ぞろいや心白の小ささなどの基準で審査。参加した栃木県の農家は7年前から山田錦を作っているという農家は毎年出品し24年には優勝を晴らした。その際の買い取り価格は相場の20倍以上。60俵で3000万円。優勝した山田錦は特別な獺祭に仕上げた。世界的なオーディションのサザビーズに出品され、2020年には1本84万円に、2022年には115万円で落札。この取り組みにより、少しずつ山田錦を作ろうという生産者が増えているという。酒造りの進化を日々模索しながら原料を極め、躍進した。
スタジオに獺祭が登場。オークションで高値のついた獺祭について一宏は色々な旨味、甘味、香りが見えるという。さらに山田錦のコンテストについて博志は全国の農家に山田錦を作ってほしいとお願いしに行った際に一番気になったのは農家が米作りに対して夢がないことだったという。それにまずいと思ったと答え、びっくりする値段をつけてやれば皆本気になると答えた。さらに経験値も大事だというが、微細なところまで見えてくると機械より人間の方が酒造りが上手だということがわかったという。
獺祭の蔵に来客があった。パトリック・エリスさんはカナダで獺祭を卸す卸業者だという。パトリックさんは20年前から獺祭を仕入れる取引先で、一宏が営業にまわり開拓した一人。獺祭の海外販路の開拓は、ほぼすべてが一宏に任されていた。入社して2年目には一人でニューヨーにわたり日本食レストランに一件一件売り込んでまわった。そんな地道な営業も甲斐もあって輸出額は79億円に。日本酒メーカーではトップだという。獺祭の海外戦略は新たなステージへ。2月に大雪のニューヨークにやってきた一宏。目指したのは世界戦略の要となる場所だった。
2月に大雪のニューヨークにやってきた一宏。獺祭の海外拠点となる施設にやってきたが、2023年にオープンしたニューヨーク蔵は日本と同じように酒造りができる設備を投入した。工場内にはアメリカ人スタッフがいて、日本から派遣したメンバーと一緒に働いているという。しかし日本と同じように行かない部分も。アーカンソー州産の山田錦を使用しているがアメリカの水は硬いために日本とは発酵の仕方が全く違う。こうした課題をクリアしていき、完成させたのが獺祭BLUEと名付けた。日本の獺祭よりアルコール度数は低めで甘口な仕上がりに。出来上がった獺祭を携えて一宏が向かったのは、マンハッタンにあるイタリアンレストラン。ここで獺祭BLUEを売り込もうとやってきたが感触は良好となった。
スタジオには獺祭BLUEが登場。日本の獺祭との違いにはアルコール度数と答え、4%違うがそれでも差は大きいという。また一宏は、当初海外事業には反対だったというが、学生時代に旅行に行った際に現地で飲んだ日本酒が酷かったという。そのために輸出は無理だろうと感じていたという。しかし、現地のお客が飲めば笑顔になってくれたことで、気持ちが変化したという。会長の博志は息子に告げたのは売れるまで帰ってこなくていいと伝えたという。またニューヨークで日本酒造りを始めたもののトラブルが多かったというが総工費も膨大にかかってしまったという。
日本の食を世界に発信している企業が一風堂を展開する力の源ホールディングス。提供しているのは、とんこつラーメンで食べやすい味が人を惹きつける。日本人のみならず海外からやってくる旅行客にも評判で、創業40年で今や国内171店舗。海外141店舗。売り上げの4割を海外で稼いでいる。そんな一風堂が海外戦略の足がかりにしたのはニューヨーク。2008年にオープンした海外1号店。2025年には別業態のラーメン店の五行 Gramercy。店内は高級レストランさながらの落ち着いた雰囲気。刺身の盛り合わせやラーメンなどを提供している。こうした店作りの現場を指揮するのは創業者の河原成美。河原はニューヨークにもう一件、現地の細かいニーズを捉えた新業態のラーメン屋を作っていた。
アメリカ・ニューヨークのippudo V ブルックリン店。2025年にオープンしたがそこで出されているのはとんこつラーメンとは違う、動物生の食材を一切使用しないヴィーガン専門店で豆乳ベースだが、香味油や辛味噌で深い味わいを出し、健康志向の強いニューヨークで大ヒットに。一方インドネシアではイスラム教徒でも食べられるハラル対応のラーメン店をオープンした。
手本にしたい会社や事業モデルについて博志は戦後にアメリカに出ていったソニーや、アメリカの中で現地化していったトヨタを参考にしていきたいと答えた。一宏は酒は造る裏側に職人の努力が存在すると答え、それをブランドとして伝えて行く必要があると語った。
先行き不透明な時代、サバイバルに必要なことに桜井博志は手間をかけてモノをつくるということは人間にとって優しい。それだけ人手が必要だということを理解してもらえないと将来はないと答えた。
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村上は今日の総括に、由来は獺(かわうそ)が捕らえられた魚を岸に並べ、まるで祭りをするように見えることから、「参考資料」を並べることを指す。明治時代、日本文学を代表すると称された正岡子規が自らを「獺祭書屋主人」と号した。早世したが酒は生きて「外に外に」という精神で発展を続けている。地元から、外の市場に可能性を見てきたのだ。まずは東京で、無名の酒を、飲食店や居酒屋を回り営業した。著名なフランス人シェフと組んだり、2023年にはNYに酒蔵を開設した。獺祭のチャレンジは、苦難の連続だが、止むことはない。とした。
カンブリア宮殿の番組宣伝。
