- 出演者
- 飯尾和樹 阿川佐和子 福田薫(U字工事) 益子卓郎(U字工事)
年収1000万円以上のとある企業をやめ淡路島に移住し今が旬の絶品フルーツを栽培する早期退職さんに密着。淡路島は人口約12万5000人の島。淡路牛やタマネギ、タコやしらすといった海産物まで、その温暖な気候と潮風が運ぶミネラルにより食材の宝庫とも呼ばれている。早期退職さんは、徳島県から兵庫県淡路市に移住。40歳でとある農家の道へ進んだ。テニスコート約50面分の広大な敷地で作るフルーツはブルーベリー。年間栽培量は約5トン。粒が大きく甘いのが特徴で、淡路島で今注目を集めている。観光農園の開園期間は6月~8月末。2400円で時間無制限の食べ放題。
36品種のブルーベリーを栽培。現在日本で流通しているブルーベリーの品種は数百種類。品種によって甘みや酸味など特徴が異なり様々な味を楽しめるのも魅力の1つ。林田さんのブルーベリー農園一番の特徴が、ブルーベリーを摘んでそのまま食べてもらえるよう、毎日4時間以上1本1本手作業で害虫駆除している。さらに併設しているカフェではブルーベリーを使ったスイーツを販売。イチオシは「ブルーベリー大福」。餅や餡にもブルーベリーの粉が混ぜ込まれている。カフェで販売するメニューは、全て妻の寿々さん発案によるもの。特にブルーベリーを使った大福は、同じ淡路島にある老舗和菓子店かじた屋に頼み込み、3年の歳月をかけて完成させた一品。雅行さんは北海道大学大学院を卒業後、レーザー加工機の研究開発をするエンジニアとして働いていた。一方整体師をしていた寿々さん。2人の出会いは、エンジニアとして体を酷使していた雅行さんを整体師として担当したこと。最初に遊びに家に行った時、茶道でもてなされたという。交際わずか1週間というスピード婚で結ばれた。その後転勤で北海道から徳島県に移住。2人の子宝にも恵まれ幸せな日々を送っていたが、40歳で早期退職することに。だんだん職位も上がってきて管理業務が増えて、その業務をやりたいわけじゃないということが増え、この先ずっとサラリーマンをやってるのは違うと思いだし、サラリーマンを辞めて他の自分でできることを探そうということで探していたら、ブルーベリー農業経験のビジネス書を見つけて、これだったらいけそうだと思ったという。ブルーベリーは他の果実と比べても労力が少なく栽培しやすいフルーツ。植えてからの収穫期間までも早く、農業未経験でもチャレンジしやすいという。その頃、2人目が生後2か月だったが転職の不安はそんなになかったという。寿々さんは「じゃあ行くよ」って言ったら見たことないくらい嬉しそうな顔をしていたのでそれが決定打だったという。そして40歳の時にブルーベリーが栽培できてかつ都市からも近く集客が見込めることから淡路島に移住してきたという。
淡路島でブルーベリー農園を開業したという林田さん一家。農業経験もなかった中、寿々さんは農業の学校に学びに向かい、農業の基礎を学んだ。林田さんが40歳の時に荒れ地だった農地を買い取り、チェンソーなどを使って夫婦2人で開拓していった。雅行さんがブルーベリーのノウハウを学ぶ間、寿々さんもアルバイトを4つ掛け持ちして資金が底をつかないようにした。2000万円という金額をかけて開業したが、今では人気の観光農園となった。売り上げは1000万円を突破していないものの、唯織くん・歩々ちゃんという2人の子どものためにも頑張っている。特産品のおすそわけが多いのも地方の特色となっていて、豊かな自然と島民の愛に支えられながら暮らしている。あわじ花さじきは明石海峡や大阪湾を一望できる無料の兵庫県営公園となっている。雅行さんは寿々さんに「天真爛漫で怒りん坊 情熱家で飽きっぽく 独りよがりで寂しがり屋 だけど寿々さんは いつも家族のことを 優先に考えてくれます」と手紙を送る様子を見せていた。また、スタジオではブルーベリー以外にも初心者におすすめの農作物として、日当たりと水はけが良ければ育つバジルと紹介された。
北海道北部・利尻島に移住したという家族を紹介。利尻ブルーという澄んだ海に加え、ウニや鮑と共に名産の利尻昆布で知られている。夏も平均気温は約20℃であり、夏は観光のベストシーズンとなっている。江刺家美次さんは47歳で札幌から早期退職し妻・祐子さんとともに利尻へ引っ越し、ラーメン作りに励んでいる。「焼き醤油らーめん」は名物であり、フライパンで焼いた醤油の香ばしさが特徴となっている。トッピングのチャーシューは一晩漬けてから5時間じっくりと焼き上げた一品。出汁に使うのも利尻昆布となっていて、3年寝かせることで深みのある味わいに仕上がりになるのだという。計600gの利尻昆布を惜しみなく使い、10時間以上かけて丁寧に出汁をとったスープも魅力となっていて、「ミシュランガイド北海道 2012 特別版」のビブグルマンに認定されたことがある。日本各地からファンが駆けつけるほどとなっているが、この日は北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士さんも駆けつける様子が見られた。取材の日は250人ほど駆けつけたが、燃焼も約2億5000万円に上るという。過去は北海道庁の職員だった江刺家さんは技術職で道路建設に携わり当時の年収は800万円ほどだったが、北海道各地を転勤し続ける生活の中転勤先の1つとして利尻島に向かった事があり沓形岬からの眺めに感銘を受けたという。祐子さんとも利尻島で出会ったのだといい、25歳の時に結婚して息子・堂真さんも生まれた。しかし、その後も山あり谷ありの日々は続いたという。
25歳の時に利尻の行きつけの店で出会った祐子さんと結婚。子宝にも恵まれ、充実した生活を送っていた。ところが、設計、積算などの仕事がきつく、当時はパソコンもなかったため、手書きで図面を描いていたため、残業も普通にあり、日付をまたぐこともあったという。結婚し、退職までの20年の間、北海道での転勤回数は7回。変化する環境の中、家庭を守り、家族を支えてきた祐子さん。そんな中、江刺家さんは45歳で大きな決断をする。仕事は好きだったが、生き方や住むところは自分で選びたいという思いが強くなり、利尻島で暮らしたいと思ったという。そうして利尻島への移住を決意。利尻島での生活で江刺家さんがやりたかったことが利尻昆布を使ってのラーメンづくり。こうして離島でのラーメン店を開業した。ところが、飲食店の経験はなく、料理は素人。ラーメンの開発は妻の祐子さんに丸投げ。そこで祐子さんは家族に振る舞ってきた自家製ラーメンをベースに利尻昆布を使ったラーメンを生み出した。また、ラーメンスープを生かしたカレーライスも考案。江刺家さんは47歳で北海道庁を早期退職。その3ヶ月後に利尻でラーメン店をオープンさせた。物珍しさからかオープン当時はお客さんが殺到。しかし、離島のため、客足はなかなか伸びず、開店から5年間は赤字続き。それでも諦めずに努力を続けた結果、2012年に転機が。北海道ラーメン部門でビブグルマンの称号を得た。その後新横浜ラーメン博物館から出店のオファーが舞い込み、注目を集めるチャンスが訪れた。2017年に新横浜ラーメン博物館に出店すると、これをきっかけに全国各地からお客さんが訪れる人気店になった。
人手不足で悩んでいた店に嬉しい誤算が。ラーメンを息子が作るようになったという。息子の嫁やその子どもも手伝いをするようになったという。娘は帯広のイベントに出張しているが、普段は利尻の店で働いているという。家族ぐるみで店を支えているという。今の楽しみは家族そろっての食事だという。美次さんは一緒にいられる時間がいい、などと話した 。祐子さんはお父さんに感謝、今の人生はお父さんがつくってくれたなどと話した。早期退職シリーズで毎回奥さんがすごい、言い出すのは夫なのになどと阿川佐和子は指摘。
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- 帯広(北海道)
夫婦仲良くするコツについて、ソウダネ・チョイスはお互いの気持ちを素直に話し合い、共通の楽しみを見つけることと回答。
次回予告。
ANNスーパーJチャンネルの番組宣伝。広陵高校 甲子園の出場辞退。