- 出演者
- 名倉潤(ネプチューン) 堀内健(ネプチューン) 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 原田泰造(ネプチューン) 土田晃之 日比麻音子 EXILE TAKAHIRO(EXILE) 伊沢拓司 松村沙友理
大ヒット商品のライバルストーリーSP。はじめは明星食品のチャルメラと一平ちゃん。担当社員が考案したアレンジレシピで対決。チャルメラ側は親子チャルメラ。一平ちゃん側は一平ちゃん背徳ホットサンド。試食したパネラーたちのジャッジは3対4で一平ちゃん側の勝利。
オープニング映像。
大ヒット商品のライバルストーリーSP。明星食品のチャルメラは来年60周年。即席麺業界でも様々なことを先駆けてやってきた先駆者。一方の一平ちゃんは今年30周年。カップ焼きそば業界では後発であり、常に新しい技術を取り入れてきた異端児。明星食品の設立は1950年。戦後間もない食料不足のおり国から委託され乾麺の製造をスタート。日本初の別添えスープ袋の考案や、名店を食べ歩き開発の参考にするなど当時としては画期的な試みを行ってきた。1966年に初代明星チャルメラが誕生。後入れの「木の実のスパイス」を開発。発売当初から描かれているチャルメラおじさんも当時としては珍しいマスコットキャラクターの採用だった。発売すると爆発的なヒットとなり、明星食品は急成長。ミュンヘンオリンピックでは日本人選手たちが選手村にチャルメルを持ち込んだという。1993年に最大のライバルとなる一平ちゃんが発売。一平ちゃんは最初ラーメンで、当時珍しいこってり味が受けたという。好調だった一平ちゃんだが、カップ焼きそばの覇権争いにヒットの勢いがあった一平ちゃんブランドが採用。開発陣はU.F.O.とペヤングとの差別化を図り、関西での調査でマヨネーズを別添えする案が生まれ一平ちゃん夜店の焼そばが開発された。からしマヨに負けない味にするため麺自体にソースを練り込む独自製法も開発。一平ちゃんの名前が一気に広まり社内での評価もうなぎ登りになったという。一方日清が袋麺業界に進出し、生麺風ノンフライ麺が人気を博しチャルメラは苦戦。一平ちゃんはマヨビームノズルを開発し、ついにチャルメラと一平ちゃんの売り上げが逆転した。チャルメラは博多の豚骨ラーメンをヒントに明星 ノンフライチャルメラ 豚骨を開発し大ヒット。一平ちゃんはこれまでにないカップ焼きそばを作るチャレンジャーとして、チョコソース、ショートケーキ味など常軌を逸したフレーバーを次々開発し、遊び心が支持され売り上げがアップ。チャルメラ 宮崎辛麺は激辛ブームで大ヒットし、しょうゆに次ぐ2番手まで成長。さらに一平ちゃんにインスパイアされ、2022年に麺にホタテだしを練り込むリニューアルも敢行。一平ちゃんの売り上げを抜き返し、現在もしのぎを削っている。
江崎グリコの看板商品を巡る争い。絶対王者の「ポッキー」は世界で最も売れたチョコレートでコーティングされたビスケットとしてギネス世界記録にも認定されている。対するのは「プリッツ」でプリッツが誕生していないとポッキーは生まれていないとのこと。
「プリッツ」はピーナッツやおかき類ではない新しいおつまみを作るべく開発が始まり、ドイツで人気のプレッツェルを参考に1962年に誕生したという。ただ当時のグリコは子ども向けのお菓子の販路に強みを持っており、おつまみのプリッツは子どもに不評で売れなかった。そこで翌年に甘い味のバタープリッツを発売。これが起死回生の大ヒットとなった。ただ1960年代のグリコは設備投資がかさんで経営が圧迫されていたため、商品数の大幅削減を決定。プリッツは削減の対象に入っていた。当時の担当者はプリッツの可能性を信じて4倍の生産力のある機械を導入し、年間売上10億円を達成。エース級商品の仲間入りを果たして販売の存続が決まった。
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プリッツ発売の4年後、ポッキーが誕生。社内では、今後10年間売れ続けて、会社の新たな看板になる商品を開発するよう号令が出されていた。当時、チョコレートと言えば板チョコで、海外では、ビスケットと合わせたチョコレート菓子もあったが、日本では馴染みのないものだった。プリッツにチョコをかけた試作品から、世界初のスティック状チョコレート菓子「ポッキー」が誕生。全国販売が始まるとすぐ大ヒットし、目標の3倍以上を売り上げ、プリッツの売り上げを抜いた。埼玉県・北本工場で、プリッツ〈旨サラダ〉と10年ぶりにリニューアルしたポッキーの作り方を紹介。スティックの原料はいずれも小麦粉が中心。プリッツは、野菜の旨みを引き立たせるため、10種の野菜のブイヨンなどを使用している。ポッキーは、複数の砂糖を組み合わせて、コク深い甘さを表現している。生地を厚さ5ミリに伸ばし、特殊なカッターで切れ目を入れると、細長い生地になる。全長25メートルのオーブンで焼く。プリッツはサクッとした食感にこだわり、最初は高温で過熱し、徐々に温度を低下させる。ポッキーは焼く前に、専用の液体に浸からせ、一気に焼くことで、硬めのポキっと食感に仕上げている。焼く前の生地にはわずかな切れ目が入れられていて、焼き上がると、ベルトコンベアのスピードが速くなったところで、切れ目が引っ張られきれいに切り離される。スティックの模様は、焼くときに使用している網の模様だという。パッケージでは、チョコレートがメインのポッキーは焼き目を後ろにして見えないようにしていて、プリッツは、香ばしい美味しさを想起させるために焼き目を表面にしているという。プリッツは最後に、微粒子パウダーという調味料をかけて味付けをする。ポッキーのチョコレートは、30種類以上から厳選したカカオ豆を使用。複数をブレンドし、奥深いチョコレートを実現している。焙煎したカカオ豆をすりつぶし、カカオマスを抽出。そこに砂糖やココアバターを加えて練り、粘土状にする。なめらかな触感にするため、細かい粉末にする。油などを加え、加熱しながらかき混ぜる。ことしのリニューアルでは、カカオマスをもう一度加え、従来より香り高いチョコレートにしている。ポッキーに対抗すべく、プリッツは新フレーバーを開発。1969年にサラダプリッツ、1973年にプリッツ〈ロースト〉が発売された。今もプリッツブランドを支えるバター・サラダ・ローストの3本柱が完成。1976年、「ポッキー・オン・ザ・ロック」の広告キャンペーンがスタート。氷の入ったグラスにポッキーを入れたり、お酒のマドラー代わりに使ったりすることを提案。大人からも人気を集め、売り上げをアップさせた。
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「ポッキー・オン・ザ・ロック」で売上を伸ばした「ポッキー」に対抗し、1986年、「プリッツ」はレタスで巻いて朝食に食べることを提案。これが当時の健康ブームにマッチし話題に。サラダ味はお菓子業界では「塩味」という意味で使われているが、本当に野菜を使ったプリッツを発売してみようと誕生したのが「トマトプリッツ」。当時のお菓子業界の常識を覆す、野菜を取り入れるという斬新さで大人気に。一方でポッキーチームが注力したのは味だけでなく食感。最大のヒット商品が2000年に発売された「ムースポッキー」。気泡入りチョコレートをまとった斬新な食感が大ブーム。売れすぎて生産が追いつかず販売中止が相次ぐほどだった。対するプリッツは「パクチープリッツ」「プリンプリッツ」など振り切った味で対抗。
森永製菓「チョコモナカジャンボ」vs「ハイチュウ」。チョコモナカジャンボは0.17秒に1個売れるアイス。ハイチュウはソフトキャンディで売上No.1。チョコモナカジャンボの前身となるチョコモナカが誕生したのは1972年。それまでの一般的なモナカアイスとは違い、内側をチョコでコーティング。その目新しさから売上は順調な滑り出しを見せた。しかし、すぐ頭打ちに。当時、家庭に冷凍庫が普及し始め、各社がアイスを発売。この頃生まれたアイスは「パピコ」や「あずきバー」など。チョコモナカの売上は上がらず発売から8年が経過。連日のリニューアル会議を経て、1980年、チョコモナカデラックスにリニューアル。モナカの生地は原料を見直し香ばしさをUP。さらにセンターにチョコソースを加え、形としては今とほぼ同じとなった。内容量も増やし、値段は20円値上げし100円に。パッケージも高品質路線に合わせ変更。しかし、ライバル商品に勝てず、リニューアルしたのに売上が減少し、販売終了が現実的に。一方でハイチュウが1975年に誕生。ミルクキャラメルの技術も応用し、弾力のある噛み心地に。味は当時珍しかった酸味の効いたフルーツ味。ハイチュウが国民的ヒット商品になるのは発売から11年後の1986年。ティーン向けに大リニューアル。持ち歩きやすいように箱型からスティックタイプに変更。中身も濃縮果汁を使用しフルーツ感UP。噛み進めるとジューシー部分が溢れ出す仕立てに。その結果、前年比約2倍と大幅な売上UP。その頃、チョコモナカデラックスは改良を重ねるも売上は低下。だが状況を一変させたのは1人の開発者。森永製菓に勤めて42年、入社9年目にチョコモナカデラックス担当していた岩崎さんに話を聞いた。今の値段のまま1.5倍にできないかと考えた。この提案に会社は猛反対、1年かけて周囲を説得。1995年、チョコモナカジャンボが誕生。インパクトで売上V字回復。チョコモナカジャンボはヒット商品の仲間入りを果たした。一方で発売以来順調だったハイチュウは2000年に大きな危機に直面。ハイチュウはスティックタイプのためガムと同じ売り場のことが多かったが、キシリトールガムの流行で売上は大苦戦。対策はボリュームアップ作戦。これまでの10粒から12粒となり、売り場のガムと並んでも目立つ大きさにリニューアル。売上は1.4倍に。問題:チョコモナカジャンボが大ブレイクのために行った異例のこととは?
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チョコモナカジャンボの売り上げを伸ばしていた中である日会社から売り上げを倍増するよう指示があり、そこで開発チームはパリパリ感をより磨き上げることを決めた。結果的に作りたてのチョコモナカジャンボのパリパリ感が美味しいという結論に至り、従来のシーズン前一括生産体制から逐次生産体制に切り替えた。このチョコモナカジャンボの取り組みはアイス業界に鮮度という概念をもたらした画期的なもので、2004年には目標の売り上げ倍増を達成した。その後も売り上げを順調に伸ばし、2011年にはハイチュウの売り上げを追い越した。チョコモナカジャンボの日毎の生産量は気温や天気などのデータを日本気象協会と連携を取ることで決めて鮮度を高めていて、モナカも小麦粉を使用することでパリパリ感を高めている。他にもモナカの内側をチョコレートでコーティングすることでアイスの水分が移ることを防ぎ、パリパリ感が長時間続くよう工夫されている。
チョコモナカジャンボの製造過程ではモナカとアイスの間に隙間なくチョコをコーティングしていて、アイスの水分が移ることを防いでパリパリ感がより長く続くようになっている。また製造後すぐに店頭に向けて出荷することで鮮度が落ちないようにしている。一方2011年に売り上げが逆転されたハイチュウはチョコモナカジャンボと同様に食感に目をつけ、超モチモチ食感のハイチュウ プレミアムやカリジュワ食感のすッパイチュウなどを発売してチョコモナカジャンボを追い上げている。ハイチュウの製造過程は砂糖と水飴を混ぜて高温で煮詰め、グレープ味では本物のぶどうを使用したフレーバーで味付けをしている。その後ゼラチンを加えて弾力のある生地に仕上げている。またハイチュウは色の濃い部分と薄い部分の二層仕立てで、製造過程では2種類の生地を作っている。外側の濃い生地を伸ばして薄い生地を棒状にして外側の生地で包んで成形している。
看板商品はどっち、大ヒット商品の知られざるライバルストーリーSP。井村屋の肉まん あんまんVSあずきバー。発売60年のロングセラーの肉まん・あんまん、和菓子屋として創業した井村屋が食品メーカーとして成長するきっかけとなった。ライバルは唯一の無二の和風アイスのあずきバーで井村屋の夏と冬の主力商品となっている。明治29年三重県の和菓子店として創業、あずきを使った和菓子で事業を拡大し1960年即席ぜんざいが大ヒットし井村屋=あずきのイメージが定着し1963年にアイスクリーム業界に参入、アイス事業をきっかけに肉まん・あんまんが先に誕生した。アイスの冷凍ケースは個人商店やスーパーなどに置かれていて冬は邪魔な存在だったが井村屋が家庭の蒸し器で温めるだけの冷凍肉まん・あんまんを開発し冷凍ケースを有効活用した。アイスの流通経路をそのまま使えるメリットもあったが冷凍庫が一般家庭に普及していないこと、冷凍から蒸す作業が手間であまり売れなかった。そこでスチーマーを開発、店舗でスチーマー販売できる肉まんあんまんが全国へ普及した。9年後あずきバーが誕生した。当初はカチカチではなかったという。主力商品ぜんざいを凍らせる斬新な発想から生まれた期待の新商品だったがバニラやチョコレートが主流だったため強くの価格設定でヒットはしなかった。1970年代後半に揃って大人気となる転機が訪れる。
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明日のTBSの予告。
ザ・ロイヤルファミリーの番組宣伝。
現在井村屋の2大看板となっている肉まん あんまんとあずきバー。1970年代後半、双方が大ヒット商品となる転機が訪れる。それは冷凍庫が一般家庭に普及したこと。これにより家庭で冷凍商品の長期保管が可能になった。1979年、あずきバーがその波に乗り、それまで1本ずつ販売していたのが6本入を発売。冷蔵庫に買い置きできるようになったことでBOXタイプがヒット。あずきバーは井村屋の夏の看板商品となった。その頃、肉まん あんまんも売上を伸ばしていた。冷蔵庫以上の追い風となった家電が電子レンジ。80年代後半、普及率が50%を超えると井村屋は電子レンジで温めるだけの肉まん あんまんを発売。蒸す手間が省け、ますます身近になった。こうしてあずきバーを突き放した肉まん あんまんに更なる追い風が。それはコンビニエンスストアの登場。80年代から90年代にかけて日本全国にコンビニが急増し、コンビニの店頭にスチーマーが設置されるとホットスナックの先駆けとして店頭販売が大幅アップ。冷蔵庫、電子レンジ、コンビニと時代を味方につけた肉まん あんまんが井村屋冬の看板商品になった。
絶好調の肉まん あんまんに対しあずきバーは1979年のBOXタイプでのヒット以降伸び悩んでいた。そして1990年代、岐路に立つことに。原料や健康に対する意識が高まり、あずきバーはその波に乗り、リニューアルを行ったという。井村屋は和菓子屋として創業し、あずきには自信がある。そこであずきバーのカッチカチが誕生。この硬さが後にブレイクのきっっかけとなる。井村屋本社工場を取材。井村屋では1日に小豆を約1億粒使うという。井村屋では小豆の大きさを統一させることで炊きムラを防いでいる。あずきバーがカッチカチの秘密は乳化剤などの余計なものを使っていないため。