- 出演者
- 指原莉乃 坂上忍 ヒロミ 島崎和歌子 石原良純 カズレーザー(メイプル超合金) 岡崎紗絵 きりやはるか(ぼる塾) 田辺智加(ぼる塾) あんり(ぼる塾)
月の赤字30万円・借金2,000万円のラーメン店がアメリカ進出。元江戸むらさきの磯山良司さんとその両親が営むラーメン店だが、借金返済のため家族全員が無給。築地銀だこの創業者が立て直しのため看板メニュー「炭の味のラーメン」を開発し、お店を改装しオープン。初日は売上目標の倍を売り上げ大成功した。あれから8か月衝撃の展開が。
佐瀬社長と千秋が8か月ぶりとなる鶏そば炭やの現状視察。店の駐車場は満車で店内も満席。1日150人が来店し月の売上は以前の3倍以上という大繁盛店となっていた。2000万円の借金も月々返済しており、家族にも給料が出るようになった。看板メニューの特製 炭焼鶏そばは、炭でざる焼する鶏の肩肉、鶏の炭油が溶けた濃厚鶏白湯。試食した佐瀬社長と千秋は「ここしかない味」「以前より炭の味がしっかり出てる。深さが増した」と絶賛。新メニューの炭焼つけ麺も大人気。ここで佐瀬社長から重大報告。銀だこグループと磯山親子で協力してきたこの流れを大きい夢にしたく、鶏そば炭やをロサンゼルスに出店したいと明かした。
なぜロサンゼルスに出店するのか。ドジャー・スタジアムに築地銀だこが出店されている。行列ができている。チーズ&サルサなど、1日2000セット以上売れる。2月大谷選手のインタビューで、球場に作ってほしい食べ物は?と聞かれ、たこ焼きと答えている。これが後押しとなり、出店された。アメリカでラーメンを出したいと佐瀬社長がいう。起ち上げを鉄だdって欲しいとのこと。オープンまでの3か月間を完全密着。
7月中旬、オールスターでホームランを打った大谷選手。ロサンゼルスに視察にやってきた佐瀬社長。出店場所へ向かった。道中に丸亀製麺ソウテル店がある。丸亀製麺はアメリカに14店舗。Sawtellという場所。CoCo壱番屋もある。多くの日系チェーンが1号店を出店。日本人がたくさん住み、リトルオオサカと言われているグルメストリートだ。鶏そば 炭やを出店しようという。もともとは焼き鳥店だった。ロサンゼルスにはラーメン店が40店以上。らーめん山頭火はアメリカに16店舗。屯ちんも人気店だ。人気は豚骨ラーメン。鶏白湯と炭の香りは受け入れられるのか。オープン予定日は10月6日。大問題発生。根本的な大問題が発覚。致命的な問題だ。
窮地を救ったのはホットランドの佐瀬守男社長だったという。鶏そばは宮崎県産の鶏を使った福岡名物だったという鶏のざる焼をヒントにしていたが、過去には鶏のざる焼を取り上げていて、ざる焼の炭油を鶏白湯スープで仕上げた炊き餃子も人気となっていた。これをきっかけに炭の味がするラーメンを思いついた。しかし、海外への出店は肉類が衛生上の観点からアメリカに持ち込むことが認められておらず、ブロイラーでは炭やの鶏そばの味は引き出すことができなかった。炭火で焼き上げるざる焼も本来は歯ごたえのある鶏の肩肉が使われるものの、米国では肩肉は硬さから需要がなくミンチにされてしまうため手に入らないという。水の硬度が米国と違うことや、麺を冷凍すると風味が落ちてしまうことなどの課題が山積していた。磯山親子とも研究を進めていて、スープは31回の試作を費やしたもののコク深さを未だ演出できずにいた。そこで提案を受けたのは大谷の活躍するドジャー・スタジアム店など米国での運営を担う椎野陽裕さんで、米国中の鶏肉業者とも交渉したものの米国では親鳥と若鶏を区別しないとの返答が来てしまった。椎野さんは過去にはゾンビーズというお笑いコンビを組んでいたが目が出ず、銀だこでアルバイトする中で社員となった。佐瀬社長からはスターになれる存在と評された事が支えだといい、独学で英語を学びながら渡米を成功させた。そんな中、親鳥に限定して鶏を仕入れることに成功し、日本の味に近い濃厚な味わいを引き出していく。さらにざる焼に使うための地鶏もアメリカ内で仕入れることに成功している。しかし、この時点でオープンまでわずか10日となっていたが、内装工事にも苦戦が見られた。
海に眠るダイヤモンドの番組宣伝。
1年前まで毎月の赤字30万円、借金2000万円で今にも潰れそうだったラーメン店が今夜アメリカ進出に挑む。10月2日オープンまであと4日。地区優勝を決めた大谷翔平選手がプレーオフシーズンに向けて練習を再開した頃。佐瀬社長はロサンゼルスにいた。心配事はラーメン以外にもあるようだった。実は海外での店の内装工事も佐瀬社長にとっては初めて経験した難題だった。日本の「鶏そば炭や」は古材をふんだんに使い炭の雰囲気にマッチしたぬくもりを感じさせる内装。当然ロサンゼルスのお店でも同じ雰囲気の内装を考えていたのだが、アメリカには古材がなく、古材を扱える職人がいないのだという。そこで佐瀬社長が日本の店舗デザインを手掛けたファンインターナショナルと考えたのが、京都で全パーツを作り番号を振って分解し、それをロサンゼルスまで空輸、現地でプラモデルのように再び組み立てることでアメリカの職人でも簡単に作業することが可能になり、通常なら1ヶ月かかる工事期間をたった2週間まで短縮出来ていた。その仕上がりは古材を使った温かみのある店内に。壁に飾られた味のある絵、アクセントは炭焼きの店に相応しい炭そのもの。訪れたアメリカ人も喜ぶこと間違いなしの内装に。そして、店の前には日本を象徴する真っ赤な提灯が。
厨房には茨城から駆けつけた磯山さんと福岡から駆けつけた小林養鶏の早田親子の姿が。実は数日前から硬水を軟水に変えるろ過器を導入し、現地で手に入った材料を使い、鶏のプロである早田親子の指導のもと。本格的なスープ作りを開始。材料は椎野さんがアメリカで探し出した親鶏の丸に、もみじ、首と背のガラ。親鶏は圧力釜で旨みを抽出。丸3日でなんとかスープを作り上げた。さらに日本から持ち込むと風味が全く無くなってしまった麺も。600万円の製麺機を導入し、日本との水の違いを考慮し小麦粉ブレンドを変更。コシと弾力のある新たな自家製麺を完成させていた。日本とは全く違う環境のなかで作り上げたアメリカ版炭焼鶏そば。佐瀬社長が試食した。
1年前まで毎月の赤字30万円、借金2000万円。今にも潰れそうだったラーメン店が今夜アメリカ進出に挑む。オープンの4日前全員が力を合わせて日本とは全く違う環境で作り上げたアメリカ版炭焼鶏そば。銀だこ佐瀬社長が試食し「コクもしっかりでてるし、麺のコシ感もスゴい」などコメント。麺とスープは合格点に。しかし佐瀬社長は炭の味、香りがでていないと指摘。実は内装工事がギリギリになってしまったため、炭の焼き台が使えたのは1日前。そのため、ざる焼きの研究は小さな七輪だけ。社長試食前の最終確認では妥協した炭油の問題点を見事に指摘されてしまった。佐瀬社長は「現状のままだとオープンはやめたほうがいい」などコメント。佐瀬社長の言葉で開発メンバーにも火がついた。鶏皮で風味を増してみたり、フレッシュな炭油をスープに直接入れてみたり。ここまで炭にこだわる理由、それは佐瀬社長が早田親子の炊き餃子を食べたとき感動したからだという。そこで佐瀬社長は「大量に作ってみてはどうか」と提案。途方にくれる開発メンバーたち。
10月3日。オープンまであと3日。鶏そば炭やの店内に運び込まれてきたのはフライドポテトを揚げる巨大な網。これを使って大量の鶏を焼くことに。焼いた鶏肉から出た油をバットに溜めていき油を大量に取る作戦。少し焼いては油を取り出し、また焼いては油を取り出す作業を繰り返すこと30分。まずは地鶏のもも肉1キロ分を使った炭油が完成。出来上がったのはたった48g。しかし、きのう食べた炭油に比べて味は格段に進歩したようだった。続いて鶏皮を1キロ。同じように焼いては油を取り出し2種類の炭油を抽出。これを比率を変えて混ぜ合わせる。この炭油を使い再びラーメン作り。炭油の配合を変えながら何度も試作を続け、佐瀬社長から「美味しい!これならいいと思う」との言葉が。炭の香りと鶏の旨みが共存する日本同様の炭油を再現。これでようやく看板メニュー、アメリカ版炭焼き鶏そばが完成。
昨夜、銀だこ酒場でたこ焼きを試食した佐瀬社長は、味に納得できず、椎野さんに全スタッフへの焼き方を指導し直すよう指示したため、椎野さんは銀だこ酒場から動けなくなっていた。佐瀬社長は、近隣のラーメン店を偵察し、店に戻って、メニュー表を見直していた。人気ラーメン店「つじ田」を偵察した際、そのメニュー表に注目した。「つじ田」は店の一押しのメニューとサイドメニューが一目瞭然だが、「鶏そば炭や」はメニューが2ページに分かれ、売りが分かりづらい。メニュー表は1週間前に発注済みだが、佐瀬社長はオープン3日前にして、メニュー表を見直すことにした。メニューそのものも変え始めた。スーパーで食材を買い集め、試作品を次々と作った。周辺の店を偵察した際、どの店にもあったのが辛いラーメン。ロサンゼルスは、ヒスパニック系の人口が約半分を占めていて、辛いものが人気。様々な国のスパイスを買い集め、試作の末開発したのが、ニンニクをすりつぶし、唐辛子と和えたものを鶏白湯スープに加えたメニュー。丸1日かけ、3種類のメニューが決まった。
オープンまで2日。佐瀬社長は、丼メニューを決めることに。4つの丼メニューと夜営業に向けてのサイドメニューも決定した。看板商品の「炭焼特製鶏そば」は、20.98ドル。ソーテルの相場よりもかなり安く、丼ものはすべて10ドルでリーズナブルな値段設定にした。アメリカ出店には、飲食店がクリアしなければならない大きなハードルがあった。
飲食店のアメリカ出店でハードルとなるのが、リカーライセンスの取得。日本の場合、飲食店営業許可があれば、午前0時までお酒の提供ができるが、アメリカの場合、お酒を販売するライセンスが別に必要になる。リカーライセンス取得には、経営陣の情報開示などが条件となる。新規で許可がおりることがほとんどなく、リカーライセンスを持っている店などから購入するしか方法がないという。鶏そば炭やは、閉店する焼き鳥店から購入した。値段の相場は600万円。この相場は、アルコール度数の低いお酒のソフトリカーライセンスのもので、アルコール度数の高いお酒のハードリカーライセンスは3000万円が相場だという。佐瀬社長は、銀だこはハイボール酒場だから、ハードリカーライセンスをとりたいが、とれていないなどと話した。
オープン準備を急ピッチで進める。店の前にオープンを知らせるポスターが貼られた。ポスターには、茨城にオープンした1号店の住所が書いてあった。「鶏そば炭や常総店」オープン当日、磯山さんと2年交際していたマミさんは店を手伝っていて、営業終了後、佐瀬社長が働きぶりを評価し、絶対に結婚したほうがいいと話した。これが後押しとなって、磯山さんはその場でプロポーズし、2人は結婚した。磯山さんは、客の期待を裏切らないようにクオリティを上げていかないといけない、改めて気が引き締まったなどと話した。
1年前まで毎月の赤字30万円、借金2000万円。潰れそうだったラーメン店がアメリカ進出に挑む。10月5日オープン前日、佐瀬社長は鶏ガラのそうじを始めた。オープン直前にメニューを変更したことで仕込みが間に合っていないと聞くや居ても立っても居られず。佐瀬社長が初めてアメリカに触れたのは50年前の学生時代。地元・群馬県桐生市で食べたマクドナルドだった。世界観に衝撃を受け、日本の食文化でアメリカ進出したいという夢を抱き、今年、ロサンゼルスのドジャー・スタジアムに築地銀だこを出店。さらなる夢を持つきっかけとなったのが昨年放送した番組の立て直し企画。仲間とこだわり抜いて作った炭の味を世界中に轟かせる。夢への一歩を踏み出した。全スタッフを交えたオペレーション練習をしようとした際、ホールスタッフが1人も見当たらない事態が。実は午前中にホールスタッフを呼んでいたが、メニュー撮影が長引いたことで就労時間を超え、12時過ぎに全員帰っていた。ホールスタッフの練習なしでオープンを迎えることに。
オープン当日。店内では営業4時間前から炭油を大量に準備し、スープの味の最終チェック、接客オペレーションの説明が行われていた。すると直前までメニュー作りにこだわったため、メニュー表が届かない不測の事態。オープン直前でメニュー表が到着。
佐瀬社長が掲げた目標は日本の鶏そば炭やの1日の販売数150杯を超える170杯。豚骨ラーメンが主流のアメリカで鶏白湯スープが認知されていないことを考えると高いハードル。店前には30人超えの行列が。佐瀬社長はラーメン激戦区のソウテルで話題になることが大切とオープン前に有名なラーメンインスタグラマーに試食してもらったり、現地の新聞に広告を出すなど、あらゆる手を打っていた。午前11時30分、アメリカ1号店オープン。
1年前は毎月の赤字30万円、借金2000万円で今にもつぶれそうだったラーメン店が、唯一無二の炭の味がするラーメンを武器に「鶏そば 炭や」アメリカ1号店をついにオープン。30席が瞬く間に満席に。お客は試行錯誤してたどり着いた濃厚鶏白湯スープを大絶賛。最もこだわった炭の味は、バーベキューが大好きなアメリカ人にとって炭の香りは慣れ親しんだものらしくすんなり受け入れられていた。看板メニューに匹敵するほど注文が殺到していたのは、アメリカ人用に急遽作り上げた「リッチスパイシーチキンラーメン」。社長は日本のラーメン店と違う回転を見るため店内へ入るも、オープン直後に30人を一気にいれたことで注文が大渋滞し厨房とホールが大パニックになっていた。社長が自らお冷係、ついには食器の片付けまで。1巡目の最後のお客さんへ提供できたのは40分後。オープンから3時間半、怒涛のランチ営業が終了。改善すべき課題はホールと厨房のオペレーション。
「それスノプレゼンツ!東京フレンドパーク」「THE MC3」「クレイジージャーニー」の番組宣伝。
全国の優良埋もれラーメン店を大募集。